研究者を目指すという熱病

 本ブログの記事の内容にご質問などがあれば気軽にコメントしてください。

高校時代、大学受験を志した理由

    高校時代の私は、卒業アルバムに掲載された、学年の集合写真の中からすぐに見つけだすことと同じくらい、集団の中に埋もれた、とてつもなくパッとしない人間でした。

 私が、運悪く(事後的にみると幸運か!?)入学した高校は、その入学した年の10年ほど前までは非常に荒れた学校で、体育教師を中心として力ずくで押さえつけることによって、学校経営を改善した学校でした。入学して一ヶ月の間、週に4回はある体育の授業で延々と行進練習をさせられることによって始まった私の高校生活は、今でも血が滾るほど不快な思い出でいっぱいです。

 例えば、制服のワイシャツが出ているだけで私の頬を全力で張った数学教師、遅刻したので私が生徒指導室に立ち寄った前後の時間に生徒指導室の備品のブレザーがなくなっという理由で、授業中にいきなり4、5人が入るだけで窮屈になる、個人面談用の狭っくるしい個室に呼び出された上で、放課後まで「お前がブレザー盗んだんとちゃうんか」と何時間にわたって詰められたこともありました。疑いが晴れて、私を取り調べた教師に謝罪を求めても彼らが顔を見合わせるだけで、何の謝罪もなかった悔しさを今でも覚えています。

 また、高校時代の私の同級生で部活をやっていた人の多くが、みな華々しい成績を収めていたことです。例えば、野球部は甲子園に、サッカー部も選手権の都道府県予選の決勝戦やインターハイに、女子バレー部も春高に出場するなど私の同級生たちは、みな教師たちから当たり年だと評されていました。前述したとおり私の高校は体育教師の声が非常に大きい学校で、また進学実績がたいしたことのない、スポーツしか取り得のない、それ以外には特徴のない学校だったので、「部活をがんばっている生徒=偉い」という定式が校風として定着していました。教師から些細なことで「部活入って指導してもらえ」や「お前は部活やってないから。」といった言葉を浴びせられたことが何度もあります。

 このような同級生と学校の校風の中で、私は徐々に、「自分には何もない」という意識を醸成させていき、「ルサンチマン」を抱えた、嫌な、陰鬱な生徒に変わっていったと思います。放課後、砂埃を撒き散らしながらグラウンドの土で汚れた部活のスパイクを履き替える同級生を横目に、私は「部活なんかやっててもプロにならん限り、お金にならへんやん」と小説で読んだ一節を頭の中で反芻させながら、毎日、逃げるように、一刻でも早く学校の敷地から出るために上靴からローファーへとそそくさと履き替えて、校門の外へと繋がる、コンクリートで硬く、冷たく作られた道を歩きました。

 授業が終われば、生白い身体に窮屈なほどピッタリと密着したワイシャツと歩き辛いローファーで帰宅する私と比べて、動きやすい部のユニフォーム姿とスパイクを履いてグラウンドを思うがままに駆け抜けて、しかも何かに打ち込んで、そしてそれを「大人」から評価されている彼らの姿を見ることは、とても眩しく、そして苦しかったです。同級生が甲子園に出場し、全校応援として生徒全員が動員をかけられたとき、私は病気を理由に行きませんでした。

 そんな「自己」と「世界」を突破したいと思うのは自然でした。

「とにかく、どこでもいいからどこかに行きたい!出て行きたい!彼らと違うところに行きたい!自分にも何かあるはずだ!」という思いを抱えるようになり、自覚した折に、たまたま受けさせられた学内模試で、学年で1番になったことをきっかけに真剣に一般入試による大学受験を考えるようになりました。

 これまでに勉強をがんばったことがなかった私でしたが、彼らより秀でた何かを、誰にとっても分かりやすい結果を手っ取り早く獲得するには「勉強」以外の方法が思いつかず、私のことを誰も知らない場所に行く方法として思いついたのが、大学受験でした。

 「受験」を前にしたとき、「友達、同級生が受けるから自分もなんとなく、仕方なく受けるもの」と考える人も少なくないとは思いますが、自分にとって受験とは、より積極的に「この場所から抜け出すためのもの」でした。少なくとも、体育会系の脳筋(?)コミュニティから抜け出すことが目的でした。なんとか、自分の存在価値を示すためでした。

 その後、大学入試に失敗したものの、編入試験という形でですが法学部に入学し、それから大学院に進学して西日本でも最高水準の教育を享受できている今の立場からすると、率直に、高校時代には思い描いていなかった「場所」にくることが出来たと感じています。「高校の環境」が私を受験へと駆り立ててくれたという意味で、私は、今となってはこの高校で3年間過ごせたことを「幸運」に思っています。当時、抱えていた窮屈さは、どこかに吹っ飛んでしまいました (ただ私の場合は、その結果として私自身が最も嫌い、苦しみを感じていた「過剰にコミットした価値観(=ここでは、部活をやってないやつはダメだ、とか○○大学以外は大学じゃないといった価値観のこと)」に自分自身が食われて、「寛容さ」を失っていくのですが、それはまた今後の記事で書きたいと思います。)。