研究者を目指すという熱病

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RADWIMPS「HINOMARU」の謝罪について

 本記事では、別にRADWIMPSというバンドによる「HINOMARU」の歌詞を取り上げて紹介したり、バンドのギターボーカルであり、作詞者であり野田洋一郎氏の謝罪までの詳細な経緯を取り上げるつもりはない。

 ただ、表現者であるはずの野田氏が、特定の政治的立場による謝罪の要求を受け、ただただ呑み込んだことが残念というだけだ。

 すなわち、「HINOMARU」の歌詞を一瞥すれば、その特定の政治的立場から生ずるであろう異議を容易に予想できたはずだ。にもかかわらず、野田氏は「色んな人の意見を聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」と、自己の表現によって当然に、生ずるであろう「反響」に対して全く無頓着であったことを、アンテナを張っていなかったことを告白していることが、私にとっては問題だ。

 「日の丸」をめぐる歴史的諸問題を踏まえたうえで、しかし、けれども、「なおも私はこう考える」という内心が、表出された表現ではなかったということが、ただただ残念なのである。サラリーマンでもなく、公務員でもなく、これらの者と比較すればまだ「自由」が許容されるはずだと「私が信じている職業の一つである」アーテイストが、簡単に、自己の表現を投げ出して謝罪に向かったということがただただ残念だ。以下のような時代の変遷に係る推測を、野田氏のわずか一事例をもって論証しようとするのは不適切であると仰る方も予想できるが、石原慎太郎であれ、大江健三郎であれ、自己の表現に、まさに著作者としての人格を賭けていた時代は、どこかに往ってしまったかのように思われる。ただただ、残念だ。