研究者を目指すという熱病

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QUICK JAPAN139号の西加奈子さん特集、長濱ねるさんの企画を中心に思ったこと

f:id:hougaku-0106:20180824141624j:plain 前回の記事( 欅坂46の長濱ねるさんにはまっていること - 法学研究者を志す、一院生の備忘録 )で、この二週間で、僕が長濱ねるさんにド嵌りしてることについて書いた。その記事に続けて、今週発売された、QUICK JAPAN139号の西加奈子さん特集について書きたい。(ただ、このブログの内容は、長濱さんの写真集の「あとがき」を読む前に書いたもので、ここで書いたことについて彼女が、その「あとがき」の中で直接、答えていることがある点をふまえて本ブログの文章を修正することも考えたが、敢えてそのままにしていることを先にお断りさせて頂きたい。)

 前回の記事で書いたとおり、僕がそもそも、長濱ねるさん個人に興味を抱いて調べ始めたきっかけは、彼女が中学時代の留学先で、重松清を何度も何度も読み返していたというエピソードだった。僕が、長濱さんに興味を持ったのは、KEYAKIとしてデビューしてから2年以上経った後で、すっかり坂道AKBとしてセンターを務めた後のスターになってから知ったので、全く自分とはかけ離れたアイドルと、何となく自分と同じような読書経験を持っていたことが嬉しかった。

 また、彼女のブログを読んでいると、アイドルとして東京に上京したばかりの17歳の高校生が初めて寮で過ごす年越しを、遠藤周作の『沈黙』を読んで過ごしたと書いていたので (長濱 ねる公式ブログ | 欅坂46公式サイト )、「この人は、面白いなあ。」と思っていた。

 それに加えて、もっとも興味を掻き立てられたのは、彼女が持っている「二重性」、彼女の内面の複雑さだ。

 彼女は長崎でのデビュー前の学生時代についてインタビューで、「『そのころ、けっこう人間関係で悩んでて。学校の女子の間で嫌われないように、いつもがんばって自分をふるいたたせてました。ひとりで電車に乗ってるとき、乃木坂46さんの曲を聴いて泣いてた時期もあります。人に嫌われたくなくて、八方美人になっちゃうところは今でも変わらないんですけど』。――どうしてそんな性格になったんだと思いますか?長濱『私、五島列島の出身なんです。島にいたころは、みんななかよしで、釣り、木登り、秘密基地、みたいな生活をしてたんですけど、小1で街に引っ越してみたら、『島とは違うんだ……』って思うことがあって。自分を出したら嫌われるし、女子同士の嫉妬とかもあるじゃないですか。それでだんだん心を閉ざすようになって、ひとりの世界にひたる子になりました』」と答えている。

欅坂46 駆け上るまで待てない!尾関梨香 渡辺梨加 長濱ねる | HUSTLE PRESS OFFICIAL WEB SITE

 このインタビューでは、7歳までの、そして長崎市内に引っ越してから夏休みになるたびに帰っていた(長崎の)五島列島とは異なり、市内での街の中での生活について、かなり対照的に語られ、また以下のリンク先のブブカのインタビューを紹介するブログ(孫引きです、原典にあたってません。)に書かれているとおり、「両親や教師に言われるがまま進学校に進んだけど、そこから抜け出したかった」、「東京の大学に行こうと思っていたけど、それより先に上京できる欅のオーディションを知って応募し」、「チヤホヤされたくてアイドル目指したわけじゃない」と答えているところに、

keyakizaka46ch.jp

山と海に囲まれた長崎と彼女を取り巻く人、学校、社会に対して彼女が、窮屈さを感じていたのは間違いない。(前回の記事を参照してください。)

 にもかかわらず、彼女は、率先して長崎弁を話し、CDのMVやテレビ番組で長崎でロケをし、しかも長崎市観光大使になって、長崎をPRし、長崎で積極的に仕事をしているところに、心の機微や揺れ、そしてある種の「二重性」を感じる。彼女には、一度は離れた故郷の土を二度と踏まないといったことに係るセンチメンタリズムやヒロイズムはないけれども、その、悪い意味でも良い意味でも常に落ち着きのある振る舞いに、私の興味が掻き立てられる。彼女はどんなことを考えてるんだろう、と。

 また、最終オーディションの朝に審査を受けるために宿泊していた東京のホテルまで長崎に連れ戻しに来た母によって、彼女は、オーディションを受けることができずに、ただ幸いにも彼女の父と欅坂運営スタッフの取り計らいにより、途中参加することができたが、ファーストシングルである「サイレントマジョリティー」に参加できず、ライブでもこの曲を含め、複数の曲を舞台袖から見学することしかできなくなった。

 普通は、親を恨んでもおかしくない。けれども、彼女は、母を含め家族への共感と感謝を忘れない。

 彼女が関係する様々な他の媒体のコンテンツを読み、見る分だけ、彼女に対する「維持の悪い」関心も掻き立てられる。その媒体で、書かれていたり、「話されていたりすることが彼女の本当の本音なのだろうか」、「もうちょっと本音を話せばいいのに、苦しくないの?」と思う。

 また、「何か自分がいた場所に欠落感を抱えているからこそ、小学生の頃から小説が好きで、長崎の高校時代に『Victorious』のような平凡だった女の子が自分の隠された才能に相応しい場所に移動し、それを開花させていくアメリカのドラマにハマり、そしてまさにドラマの世界を実現するかのように欅のオーディションを受けて東京に来てアイドルになったんでしょ。」と、心の底から僕は思うから、例えば、「長崎と自分」となどいった主題で何かを表現して欲しいし、これ以外の日々の出来事に関するインタビューでも「もう少しだけ自分を吐き出してもいいんじゃないの」と、彼女にエールを送りたい気持ちになる。

 だから、ダ・ヴィンチのニュースでのインタビュー以外で、(長濱ねる「欅坂46センター・平手友梨奈にオススメする一冊? あ、主人公が平手っぽいあの小説で!」 | ダ・ヴィンチニュース )長濱さんにちょっとでも小説や自分の心情に関わりののあるようなお仕事があれば、読みたいなと思っていたときに、QUICK JAPAN139号の西加奈子さん特集で長濱ねるさんが、西加奈子さんによる本書のための書き下ろしの短編と西加奈子さんについてインタビューを述べるという広告をみたので、購入してみた。

 

 はい!ここからが本題!いつも前置きが長くなる。

 西さん書下ろしの短編の題名は「雨男」。

 主人公は、大事な行事ごとでは必ず雨が降り、自分のせいでみんなに迷惑をかけるからという理由でずっとひとりで過ごすようになり、職業さえも、彼によれば雨が降ってもこの職業なら大丈夫だという理由で会社の経理の仕事を選択した自称雨男で、そんな彼が、メンタル系の病気になって、家に引きこもり始めてしばらくしてから、ジュラシックパークのロケ地に旅行しに行った先で、キャサリンというガイドに出会うところから、物語が始まる。

 以下では、あらすじもまとめられないし、あらすじを纏めること自体がちょっとおこごましい気がするので、長濱さんの感想と一緒に、私が思ったことを少し書いてみたい。

 長濱さんの感想は、「ああ、見透かされてしまった。この主人公は、私だ。」、「主人公は歪んだ自意識を持っていて、自分のことを特別だと思っています。でも、そうじゃないって本当は分かってる。」という文章から始まる。

 まず、西さんの18ページの短編は最高だった。

 そして、この長濱さんの感想と、当然のことではあるが私が持った感想との違いが、かなり面白かったし、なるほどと思わせてくれた。

 上述の長濱さんの感想とは反対に、むしろ僕は、完全にこの短編の雨男の自意識である「雨が降って他人に迷惑をかけること」を、雨男と同じように自分がここにいることによって他人に不利益な影響を及ぼすことという意味で、例えば、僕のために指導教授の研究室に押しかけて時間を先生の研究時間を削ってくれることや、自分が参加することで飲み会などのその場の雰囲気を悪くしてしまうことなどの不利益を意識することによって、ある特定の行動を取ることについて消極的になってしまうということを(下線部の点については長濱さん自身もそうであるように)自分の具体的な社会生活に置き換えながら雨男の自意識をある種の象徴として、読んでいた。

 したがって長濱さんと違って、どちらかといえば、「雨が降って他人に迷惑をかけてしまう」という自意識は、長濱さんのように「でも、そうじゃないって本当は分かってる。」と言い切れるものではなくて、(僕は)本当に悪い意味でネガティブで、「自分のことを特別だと思」い、確信しているから、小説の中で雨男が、雨が降って他人に迷惑をかけることを信じ、確信しているということを、物語の字面どおりに受け取って、短編の序盤、中盤を読み進め、終盤でガイドのキャサリンから雨男と同じように啓示を受け取ったような気持ちで読み終えた。

 それゆえ、長濱さんとはちょっと違った感想を持ってしまったわけではあるが、むしろ、そこが面白かった

 長濱さんは、本誌の感想の中で「人とは違う才能があったらな」と期待している自分と、「やっぱり自分が凡人なんだ」と落ち込むことも多い、と自己を規定している。彼女がいうところの凡人の前にいる天才は、間違いなく、センターの平手さんのことだ。だからこそ、長濱さんからその感想の流れの直前で「ああ、見透かされてしまった。この主人公は、私だ。」、「主人公は歪んだ自意識を持っていて、自分のことを特別だと思っています。でも、そうじゃないって本当は分かってる。」という、この短編への評価・感想の言葉が出てくるし、この短編における西さんの「オマエニ、ソンナ、チカラハ、ナイ。」という言葉によりグサッと刺され、自分が隠している恥ずかしい自意識が見透かされた感じがしたことなどを吐露している。

 率直に、僕からは、絶対に出せない感想だ。僕は、本作品を読み進めながら、アイドルに最初に読んでもらい、感想を言ってもらうという企画が先にあって、西さんは、「主として」、スターバックスで注文するのが怖かったり、アイドルの写真集を書店の店頭で買うのが怖いと思っている内気で自意識過剰なオタクに向けてメッセージを送ることを意識して書いたのかな、と思っていた。

 だけど、この捉え方は、少なくとも長濱さんの感想を読むだけでも、違ったようだ。

 それと僕は、西さんの短編を先に読んだ後に長濱さんのインタビューを読むことにして、彼女がこの短編をどう読んでいるのだろうか、と予想しながらこの作品を読んだのだが、感想として彼女から出てきた最初の言葉が、「やっぱり自分は凡人なんだ」という自意識と関連するとは予想していなかった。

 むしろ、一般人の一人のファンにすぎない僕にとって、長濱さんはどうしようもないほど手に届かない「特別な存在」で、他人や社会に対する影響力もあることで、時には些細などうしようもないことから中傷されることもある存在として捉えているから、小説の中で雨男が登場人物である西さん(キャサリン)に「オマエニ、ソンナ、チカラハ、ナイ。」と否定される言葉を通して、それがたとえ現実とは異なる慰みにすぎないかもしれないけれども、「ちょっとでも心が軽くなった」とか、「ちょっとでも他人にどう思われるかを気にせずに行動しようと思った」といった感想が長濱さんから出てくるのではないか、と勝手ながら妄想(予想)していたが、こうした長濱さんの感想に係る勝手なファンによる想像と欲求、妄想が、このインタビューの中で「『おまじない』から得たもの」という節で彼女から語られている言葉から、むしろ、長濱さんの負担となりうることに、改めて気づかされる。

 というのも長濱さんは、西さんの『おまじない』収録の短編「孫係」を読んで、「アイドルをしていると、自分でも『人に見られる仕事だからって、いろいろ取り繕っちゃってるな。」って思うことがよくありました。でも『それでいいじゃん』って、肯定してもらえた感じがしたんですよ。」と答えているからだ。

 当然、アイドルである以前に、一人の個人である長濱さんに対して、「二重性」だの何だのといって、瘡蓋で覆われた傷を抉るように本音を聞きだそうとファンが考えることは、勝手だと気づかされる。

 ただ、その次のページで、長濱さんが「自分を出すことで不安になるよりも、それでも『好き』って言ってくださる方の存在に喜びを感じることのほうが、だんだん強くなってきました」とインタビューに答えてくれてもいる。

 そうだぞ!とファンとして僕は言いたい。短いものでいいから、写真集のあとがきをさらに掘り下げたような、長濱さんのド直球本音でのエッセイを、紙でのお仕事を、読みたいと本気で思っている。

 

 最後に、QUICK JAPANに掲載された西さんの短編の言葉の雨に、私もドロドロに腐り切ったヘドロで覆われた自意識が洗われた気持ちになれた。短編集などの単行本でいつ収録されるか分からないこともあるので、ぜひ、書店でクイックジャパンを見かけたら、手にとって購入してください。

追記)このブログ書いた後に、長濱さんの写真集が届いて、写真集のあとがきを読んで、ちょっとだけブログの記事を書き直したいと思ったけど、まあこのブログはこれはこれでいいか、と思ったのでこのままにしときます。

追記の追記)

 その後、散財してしまった。

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