研究者を目指すという熱病

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研究の合間に;漫画雑誌を読んでます

 法学の研究も楽しいことばかりではない。辛い時間の方が長いかもしれない。とくに締切りに迫られながら、研究の進捗報告の準備する時間は辛い。本当に辛い。朝起きたとき、場合によっては深夜に目覚めたとき、予定していた時間よりも少しでも寝坊すると後悔が頭の中を通り過ぎていく。机に向かうも頭が真っ白になりながらとりあえずwordに文字を打ち込むためにパソコンの電源を押す日もあれば、しばらくの時間を布団の中でボーっスマフォを操作して逃避する日もある。

 1作につき、2時間ちょっとある映画を観る余裕は、正直に言ってない。論文をしこたま読んで、wordで整理しながら日本語を延々と紡いでいくことの繰り返しの中で、小説を読むだけの余力も残らない。小説に関しては、夏休みに入ったあたりから短編小説を何篇か読むことができただけで、購入した本のページを開けることすらできていない。ページに印刷された、小さな、おびただしい数の文字を読むだけの力が、もう残っていないからだ。

 そうした生活の中で、何か、小さな楽しみを見つけたい。見つけなければならないと思って、毎週、火曜日にTBSで放映されている『中学聖日記』を観たり、漫画雑誌を購入しては読んでいる。

 ところで、いま、「ところで」と表現するのはおかしいと自分の中ではわかっているのだけれども、つまり、そもそもこの話を書きたくてブログを書いているのだけれども、漫画雑誌を読むことに、いまはまっている。

 漫画雑誌を読むだけであれば、1冊につき、40分もかからない。紙に印刷された小さな文字を何文字も読まなければならない小説と違って、漫画雑誌は、大きな紙面に印刷された、最小限の言葉(文字)と絵によって、何気なく読み始めたたった1話で全く予想していなかった(最初から狙いを付けて購入する単行本の漫画や小説とは少し趣の異なる)、癒しや共感、力を与えてくれる。

 例えば、週刊ヤングマガジン連載の『終わった漫画家』という漫画は、これから漫画家として世に出て行こうとする女子高生の心情と行動に非常に共感できる一方で、これから大ヒットを出す漫画家として世に馳せることはないかもしれない、技術だけは熟達していった、まさに終わった主人公の漫画家の心情にも共感できる、素晴らしい作品だ。

 ヤングマガジンでは、1回につき4頁ほどの連載だったので物足りずに思わず単行本を購入したほどの漫画だ。この漫画で特に印象的なシーンとして、才能が枯れ果てたと主人公自らが言う漫画家のモチベーションの浮き沈みを表現する場面で、「根性を出してもう一度、奮起してみればいいじゃないですか。」という主人公の自問自答の中で、新連載のたびに今度こそ奮起するが、芳しくない結果で連載を終え、落ち込み期間を過ごし、映画『ロッキー』シリーズのように気持ちを建て直し、やるんだという決意の下で、フィラデルフィア美術館正面玄関前ならぬ、神社の階段で決意を固めて、掲載紙を変えたりしながら再挑戦するも、芳しくない結果で連載を終えるというこの一連の流れをなんども繰り返した結果、自らを「終わった漫画家」と規定する主人公について表現を、挙げることができる。

 この場面に私は、共感した。映画を観たり、あるいは漫画や小説を読んで奮起して、その結果として短期的にみれば少しはいい成果が出ても、自分らしい平凡な結果にまみれながら自分の人生が淡々と続いていく、そして、終わりなき日常が繰り返されるだけかもしれない、といった「小さな絶望」を少なからず私は抱えているが、その意味で、主人公の漫画家が抱える「鬱屈した心情」を理解できるし、共感できた。

 もっとも、この共感は「明るくないかもしれないこれからのこと」を喚起するようなネガティブで暗いものではない。むしろ、「苦しんでいるのは私だけではない」ことを知ることについてのカタルシスが、単行本1巻の本作品の著者の方の「あとがき」もあいまって、この漫画にはある。漫画の主人公も、ただ黙って漫画家としての「死」を待つのではなく、もがき苦しみながら努力して漫画を描き続けている。

 またそもそもこの漫画は連載中なので、今後、「終わった漫画家」としての鬱々としたストーリーで終わるわけではないのかもしれない。ドラマチックな展開も待っているかもしれない。現在、連載中なのでどういうエンディングを迎えるのかは分からないが、上述した主人公に対して、連載漫画家としてのデビューを狙う女子高生は明らかに、彼に対してプラスの影響を及ぼしているし、むしろ主人公は彼女が自分の漫画家生活にとってプラスの影響をもたらすことを直感して彼女をアシスタントとして雇うことに決めている。

 いずれにせよ、目が離せない漫画であることは間違いない。モチベーションの浮き沈みを感じながらも、なんとかして前に進もうとしているのは、私一人ではないというメッセージを貰えるのが、この漫画だ。大学帰りの電車の中で、はじめてこの漫画を読んだとき、たった4ページなのに、なんというか救われた気分がした漫画だった。

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 というような形で、いま漫画雑誌にはまっている。単行本の話にまで踏み込んでしまったが、漫画雑誌にはまっている。特に、小学館の「ビッグコミックスペリオール」、講談社の「ヤングマガジン」、集英社の「ヤングジャンプ」には面白い漫画が多い。

 敢えて一つだけ詳細に取り上げるとすれば、最近だと、週刊ヤングジャンプ新連載の笠原真樹さんの『リビドーズ』は、少年の汗にまみれたの生々しさと瑞々しさ、水に浸されたカマキリのお尻から寄生虫が飛び出していく姿を、射精の比喩として表現するコマ(週刊ヤングマガジン 2018年11月15日 48号)は、何か小説を読んでいるような、それでいて漫画でしか出来ない絵を用いることでしか出来ない表現を体感できたような気持ちになって、本当に目が離せないとしか形容できない作品だと感じた。驚くのは、肉体と性(欲)を見事に表現しているのに、本作主人公の少年が、勃起時に発症、変異する怪物と戦い、あるいは逃げ惑わなければならない作品だということだ。この作品の存在だけで、来週以降も読み続けたいと思える。

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 最後に、漫画雑誌を敢えて買い始めた理由に少しだけふれたい。 

 ほかにも、週刊ヤングジャンプだと同じように連載が始まったばかりの『バトンの星』というバトントワリングの漫画が面白い。

 週刊ヤングマガジンであれば、『KINGBOTTM』という体操の漫画や、高校生だった当時にハマッていた漫画(『イニシャルD』や『BECK』)の漫画家が連載されている、しげの秀一さんの『MY GHOST』や、ハロルド作石さんの『7人のシェイクスピア』が、相変わらず、面白い。

 面白い漫画は、たくさん存在する。

 面白いコンテンツであるからこその必然といえるかもしれないが、漫画村騒動によって、漫画が売れなくなり、出版社にも作者にもお金が回らなくなった。周知のとおり、違法にアップロードされてクリエイターが相応の対価を得られなくなったものとして、音楽や、映画、テレビ番組などのコンテンツを挙げることができる。

 また、こうしたどうせ違法にアップロードされるならば、公式動画として投稿した方がよいとして、(バズらせたいという理由以外でも)Youtubeでは著作権者自らが、音楽コンテンツを配信したり、出版社が電子書籍という形で、昔の紙媒体だけで勝負していた時代には考えられなかったほどの1巻丸々試し読みなどをはじめとする形態で漫画コンテンツを大盤振る舞いで配信している。さらにComicoのようなアプリでは、企業の広告収入によって運営される、ユーザーが基本的に無料で漫画を読めるものも存在する。

 こうした無料でコンテンツを「消費」することができる時代の中で、ファンは何よりもまず、普段は自分たちが作品によって応援されている業界を買い支えることを求められたと思う。

 ところで、このファンがクリエイションする側を積極的に応援することが求められる時代の中で、漫画業界は、特に漫画雑誌の編集部は、面白い存在だったと思える。特に私にとって面白いと思えたのは、雑誌によるとしても、読者のアンケートが紙面の構成に対して、少しくらいは影響があるという事実は、読者が単純に漫画を「消費」する存在だったのではなく、自分が読む漫画雑誌の構成や作品のあり方に、生の声を書き連ねたアンケートを届けるという限りでは、「参加」できるということを、編集部の側から読者の側に歩み寄るという態度を、昔から示し続けていたということだった。クリエイターが「消費する側」にコンテンツを提供するという一方通行の関係性ではなく、かなり早い時期から、読者にクリエイションに参加するスペースまでを(それがどれだけ僅かなスペースであろうと)、与えてくれる存在は稀有な存在であり、稀有な業界だと思う。

 最後の最後に、自分にとって、単行本だけでなく、雑誌も手に取ろうと思ったのは、スペリオールの菊池編集長のこの記事を読んだことがきっかけだった。

mannavi.net

 

 菊池編集長は、「昔、ある漫画家さんと富士の樹海に取材に行ったのです。すると、木からロープがぶら下がっていたり、野宿した痕跡があったり、自殺志願者の跡があるわけです。良く見ると、放置されている遺品の中にほぼ必ずマンガがあるのです。何か犯罪があった時に、犯人の部屋から漫画やアニメが出てきたりすることもありますよね。マンガというものは、そういった自殺や犯罪にまで追い込まれそうになった弱者の方たちにも、最後まで寄り添う事が出来るメディアなのではないか、と言われます。そして、そこが漫画のもっとも凄いところだと考えています。もちろん、犯罪を助長するようなことは断じて戒めないといけないと考えていますが、人の生き死にや、生きる希望を与えたり、息抜きとなったり、「人に寄り添えること」が目指す所かと思います。」と語ってらっしゃるんだけど、この記事の菊池さんの言葉は、本当に熱いし、熱いし、熱すぎると思った。絶対終わってほしくない雑誌だと思った。

 私は単純な性格で、映画を観てファンになった原作漫画「響 小説家になる方法」を単行本だけではなく、本作が連載されている雑誌(スペリオール)も買わなきゃと思い、それから毎号を欠かさずに購入している。

 漫画で応援されて、購入し、アンケートを書くことで編集部と作家を応援して、また漫画で応援されて、購入することでまた応援される、というポジティブな循環に参加できるという一つの喜びの中で、毎日を院生として必死に自分ができる研究をして過ごしてますよ、ということで今日のブログ更新はおしまい。ちょっと今は色々と忙しい時期で、余裕なく、漫画を支えにがんばってます。

追記)欅坂のよねさんとずーみんが卒業しちゃいました。ファンになってから日が浅いですが、寂しいです。

 それと最近、すごく嫌な夢で目覚めることが多くて、ナイーブになって困ってます。でもがんばるしかないよなあ、と思って、机に向かってます。