研究者を目指すという熱病

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勝谷誠彦という人

 勝谷誠彦さんが11月28日に亡くなった。そのニュースを電車の中で読んだ。驚いた。私が政治に関心を抱き始めた高校生の頃に、彼はコメンテーターとして絶頂期だった。それゆえに、彼が長年務めていた「そこまで言って委員会」という関西ローカルの番組を2013年春に降板し、そして2015年春にうつ病を告白された時には驚いたし、心配した。宮崎哲弥さんが指摘するとおり、「自死に近い死だったと思う」というのはそのとおりだと思う。レギュラー番組を次々に降板させられ、兵庫県知事選挙に落選したこともあり、気持ちが落ちてしまったことも影響していたのだろう、と28日にそのニュースを知って直感した。このことについて、彼の週刊文春時代の上司である花田紀凱さんと、盟友の宮嶋茂樹さんがコメントしている。

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 勝谷さんの訃報をブログで取り上げているのは、やはり、私は勝谷さんのことが好きだからだ。正直に言えば、彼の著作に目を通したことはほとんどない。私が知っているのは、テレビ番組を通して知った彼のことだけだ。もっとも、このような限られた情報だけでも伝わってくる、たとえどれだけ地に落ちたとしても、個体として何者にもおもねることなくアタックしチャレンジする、彼の生き様が私は好きだった。

 彼は、中学受験で灘に入学できたにもかかわらず、学内の成績は最下層にまで落ち、医者の家系であるにもかかわらず医学部受験に失敗して私学文系に進んでいる。その後、19歳の頃から風俗ライターの仕事を始め、学生ながら編集プロダクションを経営し、結果として文芸春秋に入社したにもかかわらず、その立場を手放して権威によることなくフリーランスのコラムニストとコメンテーターとして活動することになる。

 しかし、レギュラー番組の相次ぐ降板に加えてうつ病になる。彼はうつ病からカムバックして兵庫県知事に出馬するが、選挙には落選してしまう

 勝谷さんの人生のすべてが順風満帆だったわけではないが、それでも彼は、つねに自分のルールと論理を貫いて生きていたと私の目には映る。彼が当時、コメンテーターとして人気を博していたのは、総理大臣の靖国神社の参拝に賛成し、外国人参政権の付与にも反対し、東京裁判も不当だとはっきりと断言していたことを、その理由の一つとして挙げることができると思う。彼の考え方の一部だけをざっくりとみると、政治的に右派と呼ばれる人たちに親和的な立場にあったと評価してもよいと思う。

 しかし少なくとも彼は、右派から批判されていた民主党による政権交代を、特に小沢一郎を支持していたし、私の記憶によれば「そこまで言って委員会」の番組内で太平洋戦争の特攻隊を偲ぶ趣旨で特攻隊員の手紙を元にラップをするHIPHOPグループの「英霊来世」に苦言を呈していた。また、他の番組で2008年のアパホテル主催の懸賞論文に受賞した田母神論文について、田母神さんの気持ちは理解できるが、細部において歴史的事実をふまえていないという趣旨のことを述べていたと私は記憶している。

 それゆえに勝谷さんが、自分の考えの軸とルールとその論理的整合性にしたがって、誰に対しても、どの立場に対してもおもねることなく発言していた人物だったと評価できる。

 この勝谷さんのスタンスに対して私は信頼を寄せていたし、考え方は違っても尊敬していた。現在の、SNSなどのインターネットにおける世論やバズ、評価を気にしているだけの、悪い意味で自己の思考(思想)や価値判断の重心を、自分の良心の外側に置いている一部のライターとは一線を画すると思う。彼が亡くなってしまったのが率直に、残念だと思う。

 最後にこれまでの話題から少しだけ離れると、彼は強い学歴コンプレックスを抱えていたと思う。同級生で精神科医である和田秀樹さんに対して、テレビ番組で宮崎哲弥さんに「あいつは学歴しかアイデンティティのない奴やから」と心無い言葉を言い放ったことも、彼のコンプレックスの現れだったと私は思う。和田さんが怒ったのも当然の出来事だったと思う。

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 もっとも、このどうしようもない医者に対する羨望という学歴コンプレックスを抱えていたことと、彼が風俗ライターとして活動することで風俗という仕事に関わったことや文芸春秋でさえ辞めてしまうといった彼の自由な生き方は、無関係ではなかったと思うし、この生き方に対して、私は極めてポジティブな意味での勝谷さんの人間らしさ、人間的魅力を感じざるを得ない。

 このエントリーの締めくくりとして最後に勝谷さんに言いたいのは、少年期からのこうでなければならないという理想を実現できず、コンプレックスに縛られながら苦しむ主人公が、完全にこれを吹き飛ばす小説を読者としてもっと読みたかった、ということだ。コンプレックスの話とは無関係に、もし政治の世界で自分の理想を実現できないのなら、小説の世界でこれを表現して欲しかった。死ぬには早すぎる、と思う。