研究者を目指すという熱病

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フィッシング詐欺に騙された男の翌日

 昨日、フィッシング詐欺に騙されたことに気づいた男にも、朝はやって来た。

 今朝、いつも通り研究しようと思ったが、詐欺に騙されてしまったことで気落ちした感情をコントロールすることができずに、気分転換のために地元に存在する山を目指してサイクリングに向かった。

 いま、私は、実定法(法学)を専攻する後期博士課程の3年生である。

 標準年限内に論文を提出するには、12月に博論を提出する必要がある。

 立ち止まっている暇はない。研究は佳境に入っている。

 私の論文の大まかな構想について、とりわけ、すでに読み終えたドイツの法学文献(ドイツの先行研究)から得た知見が、日本法の解釈論にどのような意義があるか、ということについて、これまで私なりに考えてきたことを聞いてくださった先生の1人からは、「(提出する価値のある)論文になる」という言葉さえ、いただくことができた。心配ばかりかけてきた指導教授の先生にも、(つい数か月前と比べると)かなり安心していただけている状況まで辿り着くことができた(と思う)。

 先生方の暖かい言葉をそのままありがたく受け取る限りでは、私がやらなければいけない作業は、すでに読み終えている文献(先行研究)をさらに精確に読み直した上で、そこで得た知見を正確に分析し、まとめあげる作業である。また、今の時点で、未だ積み残している文献があるので、この文献をしっかりと読まなければならない。

 論文の提出までに行わなければならない作業は山積みとはいえ、提出までの道のりは、かなり明確になってきたといえる。

 この状況とは対照的に、少なくとも数か月前の時点では、(もちろん)大まかな研究テーマこそ決まっていたものの、しかしながら、その研究テーマの中で、これまでに調べてきた研究上の知見が日本法の解釈論にとっていかなる意義を持ちうるかについての考察が甘かったので(つまりもう少し具体的に説明すると、なぜ、ドイツ法の議論を比較法の方法で研究することを選択し、そのドイツ法において蓄積された知見が日本法にとっていかなる解釈論上の意義を持ちうるかについての考察が甘かったので)、具体的にどのような論文を書けばよいのか、迷走していた。この数か月前までは本当に、色々な資料に闇雲に手を伸ばしていた。

 

 そういった迷走期があったことを考えると、今の状況というのは、少しずつ、少しずつ、はっきりと見えてきたゴールに向かって、走り続けるだけだといえる。

 

 それにもかかわらず、詐欺に騙されたことで沈み切った心を、今日1日を通じて、普段の状況に戻すことはできなかった。

 明日から、普段の自分を取り戻したいと思う。 

 自分は本当に大馬鹿野郎だと思う。

 自分のことを馬鹿だと思うのは、フィッシング詐欺に騙されたからだけではない。

 もう戻れない過去のことを、今もくよくよと悩んでいるからである。

 

 もう終わったことはどうしようもない。

 明日から、がんばろうと思う。

 ゴールは、(たぶん勘違いじゃないはずだから)もう見えている。

 

 Amazonアフィリエイトリンクを貼ったのは、最近、買った銀色夏生さんの詩集です。本書の中で 一番好きな詩は、120頁の「新しい星」という詩です。 同じ目標を抱いて、同じ時間を過ごし、将来を語った友人や先輩、上司などが突然、その目標を諦めてしまったり、自分(たち)が大事にしていたはずの価値を否定するような行動や言動をとった時に、 そのことに、悲しさや怒りを感じた経験は誰にでもあるのではないかと思います。

 そういった私自身も抱える数年越しの辛さを救ってくれたのが、この詩でした。

 お薦めです。