研究者を目指すという熱病

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進路について、自分で自分の限界を定めること、自分の本音と心にしたがわないこと

 前回の更新から、二週間があっという間に過ぎてしまった。「随時、更新予定」と銘打ちながら、更新できず、加筆できない記事が複数ある。夏休み前の研究の進捗報告を来週に控える中でそれほど時間的に余裕がないというのが私の現状だ。

 ただ、このブログのアクセス数が幸いなことに着実に増え、読んでくださっている方が増えていることを考えて、なんとなく、とりわけ学部生に向けて、進路に関して常日頃思っていることを書いてみたい。 

 そもそも私は、最終的には法学研究科に進学したものの、学部に編入してからというもの、とにかく進路に関しては迷走を続けた。

 編入してしばらくの間は、漠然と公務員試験の受験を考えていた。というのは、せっかく法学部に編入した以上は、法学にかかわる、ないし法学が役に立つ進路を選びたいと考えたからだった。この志望動機からすると初めから、法学の研究者を目指したり、司法試験の合格を目指すほうが、より自然な選択であったと今となっては思うし、当時も薄々、自覚していたが、正直に言えば私は研究者や司法試験を受験して実務家を目指すだけの覚悟も自信もなかったというのが、本音である。学部生で公務員になること、もしくは現役で公務員であることに情熱を燃やしている方にとっては、本当に失礼なことだと思うが。

 だが、最初の学部での期末試験を終えて、それなりに良い成績をとることができた私は、なんとなく、自分も司法試験や研究者を目指してもよいのではないか、と考えるようになった。

 おそらく普通の大学生であれば、そのままロースクールないし研究者の道へとまっすぐに突き進んでいたのであろうが、突然に生じた金銭的な理由で、4回生になった春に、私は、一度は民間の事業会社の説明会に参加するために大阪発、新宿行きの夜行バスに揺られていた。

 結局、私は編入してから卒業までに、公務員→ロースクールor法学研究科への入試の検討→民間企業への就職活動→法学研究科への受験と、見境なく、節操もなく、進路を何度もコロコロと変えながら、ようやく法学研究科に辿り着いたわけである。

 ところで、この記事で書きたいのは進路の変遷や、ある意味で肥大した自意識ともいえる「俺は覚悟と自信をもって、研究者になることにチャレンジしたのだ」というくだらない宣言や、武勇伝、あるいはくだらないマウンティングをすることではない。

 むしろ、私が、自分の本当にやりたいことや目標を実現することに対して、かなり遠回りしたことについて書きたいと思っている。

 私は、編入当初から、明らかに法学研究者に憧れを持っていた。なんとなく編入予備校で講師として指導していただいた、当時、若手の実定法と基礎法学の研究者であった2人の先生が、かっこよくみえたからだった。それに、伝統的・支配的な見解に対して、それをぶち壊すための学問という行為がかっこよくみえた。本当に、単純な理由で、やはり「かっこいい」と思った。

 だが、現実に自分がそれを目指せるかというと、とてもじゃないが目指せないと思っていた。なぜなら、法学研究者になるために不可欠な能力として、優れた外国語能力が要求されることを、一応、知っていたからだ。大学受験レベルの英語でさえ碌に読めずに、苦労した私には無理だと思った。だから研究者になるという選択肢は、編入してしばらくの間は、全く湧き出ることがなかった。

 だが最終的に法学研究科に進学することになる私にとって、大学生活最大の失敗は、いや20代でおそらく最大の失敗となるであろう出来事は、必修だった第2外国語を選択する際に、単位をとることに苦労しないイメージを持っていた中国語を選択したことだ。

 このとき、最初から法学研究者を本気で目指すことを見越して、ドイツ語ないしフランス語を選択しておけば、ずいぶん、法学研究科に入学してから苦労することになる外国語の学習が楽になっていただろうと、今でも何度も何度も思う。

 最初から、自分の心の声にしたがっていれば、と思う。

 例えば本音では、国家総合職でキャリア官僚として働きたいが、能力や学歴的に自分には無理だ、とか、司法試験はとても自分には無理そうだけど行政書士司法書士なら受かりそう、と、ある意味で折り合いをつけようとしている人もいると思う。あるいは、行政書士司法書士の資格試験にチャレンジしたいけど、自分に自信がないし、無理そうだから民間企業に就職しようと、消極的に考えている人もいると思う。

 私が、こんな話をするのは下世話だと思う。何より、現役で上記の職業に就いている方にとって失礼なことだと思う。だが、もし本音では本当はもっと理想を追求したいという気持ちを抱えているのだとすれば、なぜそれを追求しないのか?と、私は思う。

 特に、まだ養っていかなければならない家族もいない、学部生や編入志望者にはそう言いたい。最初から自分の、心のうちにある本当の声にしたがってほしいし、そのための準備に時間を使ったほうがよいと思う。

 私は、実際、多くの時間とチャンスを無駄にしてしまったし、自分の本当の気持ちと、自分が実際に取り組んでいた活動との乖離に苦しさを抱えていた。例えば、なぜ俺は新宿行きの夜行バスに揺られて、早朝に新宿駅で歯を磨き、それから何社かの企業説明会を梯子し、その日のうちに、梅田行きの夜行バスに乗り、明け方近くに家に着いてから、脂にまみれた髪と身体をシャワーで洗い流し、少しだけ睡眠をとって、その日の夕方にあった学部のゼミに、疲労困憊で禄な準備も出来ずに参加したとき、俺は自分が本当にやりたいことをやらずに何をやってるんだ、と思った。苦しかった。それもすべて自分に自信がないこと、勇気がないことに原因があった、少なくとも私の場合は。今となっては失敗してもいいから、自分がやりたいことをやるべきだと思う。呪文のように、いやはや呪いかもしれないが、しかし、何度でも言いたい。自分がやりたいことをやるべきだ、と。

 追記)

今回の記事は、かなり下世話なものになってしまった。

本記事の趣旨は、(本文でも叙述したが)公務員や民間企業の就職という選択肢が、法学研究科への進学と比べて妥協であるとか、そういうくだらないマウンティングをするために記事にしたわけではない。

 むしろ、私にとって公務員になることや他の資格試験を受験することがファーストチョイスではなかったというだけで、私の友人が、彼の生まれ育った地域に貢献するために地方公務員になったように、自分の本当の心の声にしたがって、進路を決定するべきだということを書きたかった。

 また時間的・金銭的なことを考えて、現実的に司法書士行政書士の資格試験にチャレンジする人をないがしろにするために、このような記事を書いたわけではない。

 むしろ、本当になりたい職業が司法書士行政書士であるのに、その心に従わずに、例えば民間企業への就職活動をしながら、後悔しているという、特に学部生に向けて書いた記事である。

 勿論、親が士業で、親の意向でむりやり同じ業界の資格試験を受験しているが、本当は民間の事業会社に就職したいという学部生に向けて書いた記事である。

 私のような好き勝手やってる人間が、もとより他人の進路に関して、アドバイスをすること自体が、なんとも下世話だと思うが、けれども進路について迷っている人に、少しでも自信と勇気を与えれば、と思う。アクセスの傾向から、このブログを読んでくださっている方の多くは、編入志望者だと思うが、もし志望校や、あるいは編入試験を受験するか迷っている方に対しても、同じことを言いたい。