研究者を目指すという熱病

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友だちが研究から別の道へ進んだこと

  久しぶりの更新となる。3月からブログをなんとなく更新する気になれなかったのは、表題の出来事が関係していると思う。率直に、ショックだった。

 その友だちとは、様々な大学に所属する先生方が共同で開講され、大学院生、学部生、および社会人が、大学の垣根を超えて参加する外国語文献の講読ゼミにおいて、修士の1年目に出会った。

 この合同ゼミに最初に参加した翌週だったか、翌々週に、社交的かつ気さくな彼から声をかけられて、彼と私が同じ専攻であり、同期であることを知った。それから、暫くして、彼とはゼミ後の教室から、地下鉄の改札口までの帰り道を一緒に過ごすこととなった。

  修士1年目の先行きがまったく見えず、第二外国語も(現在以上に)ままならなかった時期に、彼には励まされた。このゼミは月曜日にあったので、週の最初に彼と話すことにより、この1週間をがんばって乗りきっていこうと思えた。

  夏休みに入り、この合同ゼミも10月までお休みになった時期も、彼には電話口で励まされた。当時、私は、ドイツで出版された私の専攻する実定法領域のハンドブック(の一部)を読むことを夏休みの課題としていた。邦語文献でいうならば、日本法のコンメンタールの中でも判例の解説を重視した文献をイメージしていただければ幸いである。この文献のドイツ語自体が、私にとって難しかっただけでなく、叙述内容もまた、様々な重要判例の判旨が縦横無尽に引用されていたこともあり、読み進めること自体にとても苦労した。連日、徹夜で取り組んでいたのに、30頁程度の分量を読み進めるために、数週間かかってしまった (それでも誤訳だらけだったが)。連日、ほとんど完徹状態のある夜に、あまりにもしんどくて散歩に出た際に、カラオケ店の脇道にゴミとして放置された、単なる廃タイヤが、ネコに見えたという出来事もあった。

 話を戻すと、 ちょうどそのハンドブックを読んでいたときに、彼から電話がかかってきた。9月の4週目だったと思う。私が弱音のようなことを吐くと、一言、彼は、「俺もおるし、がんばろうぜ」というようなことを言ってくれた。このときに、彼に対して、「同じ専攻」である共通点に尽きない関係性、つまり、純粋に友だちだなあ、と思った。

 その夏を、私はなんとか乗り切れた。その後の秋も、さらにその次に来た冬も同じように乗り越えることができた。

  年度が変わった修士の2年目では、修論執筆に集中したかったので、私は合同ゼミに参加しないことにした。彼は参加していた。よくよく考えてみれば、この年は、彼とは対面では一度も会わなかった。友達とは思いながらも、修論執筆などの負担により、彼とスケジュールを合わせる余裕すらなかったことを、少し後悔している。

 その彼が、博士後期課程には進学しないことを、今年の3月に聞いた。寝耳に水だった。ショックだった。なぜ辞めたの?と思った。そして、すぐに連絡を取った。その週のうちに、彼と食事に行く約束を取り付けた。

 待ち合わせ場所で落ち合ってから、雑踏する繁華街を目指して一緒に歩きながら、彼は、就職活動の話をしてくれた。志望業界について話してみせる彼の言葉は、人混みのせいで、少し歩くだけで首元に汗が滴り落ちていくほどの熱に負けず、そして、劣らないものであった。

 彼と落ち合うまでは、彼のことを厚かましくも引き止めようと考えていたけれども、引き止めるのは辞めることにした。もちろん、彼が別の道に行くことは、かなりショックな出来事だった。もっと一緒に研究の話をできると考えていた。さらに、なぜこのタイミングで辞めてしまうの?君には未練がないの?自分が立てた研究課題に対する答えを知りたくないの?というような意地悪な疑問が幾つも頭を掠めた。

 けれども、ここで今度は、私が背中を押せなければ、「あの夏」に背中を押してくれた彼の優しさを裏切ってしまうような気がしたし、今も、そういう気持ちである。お互い、自分の好きな仕事で絶対に成功したいという気持ちである。がんばらなきゃいけない。

 

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 1日のうちほんの一瞬だけ、太陽と月が共に過ごす時間に写真を撮りました。

 やがて月は沈み切り、空が完全に明け切った後、太陽もまた彼と同じように沈み、それと代わりばんこに今度は月だけが姿を現すこととなるので、月と太陽はつねに一緒にいることはできません。しかし、だからこそいっそう、それらが同居する一瞬の時間がとても美しいものに感じることができるのかな、と思いました。