研究者を目指すという熱病

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博士後期課程1年目が終わりました!

 お久しぶりです。半年も更新しなかったブログであるにもかかわらず、いまだにアクセスしてくださる方、読者として登録してくださっている方もいて、感謝でいっぱいです。お元気でしょうか。

 僕はというと、半年前に痛めてしまった右膝の痛みはすっかり何処かに消え去り、その代わりに今度は、体重をかける度に右の踵に刺すような痛みが走る時期が長く続いています。踵骨棘という疾患らしいです。疾患の直接の原因は、去年の9月中旬にあったMGCという東京オリンピックの代表選考を兼ねたマラソン大会の中継に触発されて、急に走り始めてしまったことが原因だそうです。

 そういうわけで、僕の体の調子は思わしくありません(笑)

 もっとも、がんばって走り続けた結果、体重は夏から5キロ痩せて、65キロまで落とすことができたので、後悔はしていません。一時は87キロも増量してしまったにもかかわらず、18歳、あるいは19歳頃の若かった、健康な体型に戻れてとても嬉しいです(笑)。

 さて、本題に。

 なんとか博士後期課程の1年目を無事終えることができたので、この1年をどんな風にすごしていたか、書きたいと思います。

 

 まず、今年度は、通年で週に4つのゼミに参加しました。

 

 第一に、ドイツ語で書かれた論文を読み進めたゼミに3つ参加し、第二に、前期において邦語文献を、後期において英語文献を読み進めたゼミに1つ参加しました。

 ドイツ語に関しては、この1年の間で去年と比較すれば信じられないほど、ドイツ語を読む能力を伸ばすことができたと振り返ることができます。

 その理由として、複数、参加したゼミごとに、異なるアプローチ・方法論によって独語文献を読み進めたことを挙げることができます。簡単にリアバレしてしまう情報を自分から開示することを避けたいので、どのような内容の文献を読んでいたかなどについて書くことは、申しわけありませんが差し控えたいと思います。

 まず、一つ目のゼミは、三時間近くある一回分のゼミのうちに、たった3行しか読み進めることのできない日もあるくらいに、テクストの一つの単語の意味、一つのセンテンスの意味、一つの段落の意味内容について、指導教授の先生と先輩との三人で、徹底的に議論するというスタイルで進められました。

 このゼミでは、毎回、何度も何度も、(たった)一つの単語がもつニュアンスについての理解のあり方をめぐって対立が生じました。この対立が生じるのは、とりもなさず、その単語のニュアンスが、あるセンテンスの解釈(の意味内容の把握)にとって決定的に重要であり、そして、テキスト全体の読解に影響を及ぼすからです。

 あるたった一つの数文字の単語がもつニュアンスについての理解の誤りが、テキストの読解すべてを狂わせていくことを経験することができました。この経験の過程で、本当の意味で誠実にテキストに向き合う態度、「言葉」についての敏感な姿勢を養うことができたと思います。

  

 二つ目のゼミでは、毎回のゼミにおいて、独語文献をだいたい6頁から7頁ほどを読み進めました。先生と1対1のゼミだったので、私が事前に作成した逐語訳を読み上げた上で、内容を確認するという意味では、(個人的には)それなりに講読スピードの速いゼミだったと思います。

 週に1回のペースで、文献6頁分ほどの逐語訳を作成するのは、かなり大変でした。ずっとWordにカチカチと翻訳を打ち込んだこともあり、指の神経も鍛えられたと思います(笑)。

 このゼミの効用は、文献の叙述内容の全体像を把握することに注力する読み方もできるようになったことだと思います。

 自分はもともと、独語文献を読む際に、悪い意味で、1文1文に時間をかけすぎるといっても過言ではない読み方をしており、「木を見て森を見ず」と形容できるような読み方をしていました。もう少し具体例を挙げると、例えば、文献の一章分を読み通さないと分からないような場合であっても、いつまでも、ある1文に拘って時間を無駄にロスしてしまうような読み方をしていました。

 このゼミでは、場合によっては、文献をあまり神経質にならずに気楽に読むことが、結果として、テキストの精読に資することになることを、経験に裏付けられるかたちで学ぶことができました。

 ドイツ語を浴びるように翻訳したこのゼミのおかげで、随分、この言語に慣れることができました。

 このブログをお読みくださっている方の中にはすでに気づいている方もいらっしゃると思いますが、1つ目のゼミと、2つ目のゼミのスタイルは対照的なものであったと振り返ることができます。個人的には、自分の文献の読み方の幅が広かったという意味で、いずれのゼミも貴重な機会だったと整理しています。というのも、自分がいままさに読んでいる論文と自己の研究との重要性・関係性などに相応させて、当該文献の読み方を柔軟に変えることのできる能力は、今後、自己の研究を進める上で重要なものだと思うからです。

 

 三つ目のゼミもまた、先生と私との1対1でのゼミでした。

 このゼミでは、毎週、独語文献2頁ほどの逐語訳が、文字通り、先生の手によって原型がなくなるほど修正されるというものでした。私の翻訳に存在する、初歩的な文法上の誤りから、翻訳技術、論文に書かれている内容にいたるまでを丁寧に教えていただけたのは、本当にありがたかったです。

 また、特筆したいのは、夏休み、冬休み、および春休み中も、先生のご厚意によってゼミを開講して頂けたことです。大学の休暇期間中であっても、通常の授業期間と変わらない勉強についてのintensityを保つことができたのは、このゼミのおかげでした。

 自分の中でドイツ語を読む能力が少し上がったと感じた瞬間が夏休み中のお盆休み明けの時期にあったのですが、これは、大学の休暇期間中であってもゼミを開講してくださったことが大きかったのではないかと思っています。

 このようなかたちで、複数の、それも講読スタイルがそれぞれ異なるゼミに参加できたことは、とても有意義でした。元々は語学の学習があまり好きではなかった私ですが、ドイツ語の勉強をすること自体も、とても楽しく思えるようになりました。

 

  これに対して、今年度は、前期に邦語文献を、後期に英語文献を読んだゼミにも参加しました。私が所属する大学院はとりわけ語学の教育に力を入れている点に特色がある中で、実は、邦語文献を精確に読み取ることを目的とするゼミというのは、-日本法のために研究しているにもかかわらず-レアな存在です。

 前期は、自分の研究に-少なからず-接点のある(邦語)論文を読みました。博士後期課程になっても、まだまだ自分は、日本語で書かれた論文でさえ、精確に読めていないという点で、反省も多いです。それでもやはり、楽しかったという気持ちが強いわけですが。

  他方、後期の英書講読は地獄でした。英語の文献を読みたいと言ったことを、素直に後悔しています。受験生の頃に勉強した英語の知識は何処かに落としてしまったようです。来年度も同じ文献を読み続ける予定なので、なんとか、軌道修正したいところです。がんばりどころです。

 博士課程の間に執筆する論文ではドイツ法を比較法の対象として考えているので、英語の学習が、ただちに自分の研究に繋がるわけではないのですが、しかし、自分の将来の研究の幅を広げるためにもっとがんばりたいと思っています。そもそも、後期に英語を読もうと思ったきっかけは、このゼミの先生との雑談のときに教えてくださったアメリカ法の議論に関心を抱いたことにあるので、そのことを忘れないようにしたいです。

 英語に関してはまったくと言ってよいほど上手くいっていませんが、いま自分がまったく英語を読めないということを知ることができたというだけでも、「前進」だとポジティブに考えたいです。

 

  さて、以上で書きとどめた四つのゼミでは、私が学部時代から取り組んでいる研究テーマについて直接論じた文献から、-いままさに私が行っている研究とは直接には関わらないものの-自己の研究上の視野を広げてくれるような文献にいたるまで、様々な内容の論文を読むことができました。現在の、そして将来の自分の研究に広がりを持たせるためにとても有意義な機会であったと思います。「院生時代に受けたゼミの中で蒔いた種が、花開いた。」と、10年後、20年後に振り返ることができるよう、精進していきたいと思います。

 

 さて、最後に私自身の研究(の進捗など)について書きたいです。

 闇雲に研究を進める状況ではなく、指導教授の先生としっかりとコミュニケーションを取りながら、ある程度、具体的な論文の構想をもった上で、日本法の考察をより深めるために必要となる独語文献を掘り続けることができているので、今のところは大丈夫だと思っています。

 本来であれば、研究の過程において得ることのできた知見やそのこぼれ話を、このブログの中で纏めることができれば理想的なのですが、いまはそれを纏めるだけの時間的・精神的余裕もなく、また当然のことですが、そのような知見というのは論文という形で公表することとなるので、私自身の研究に関しては、上記のような簡潔な「振り返り」となりました。

 さて、私自身としてはこの1年間は、かなり充実した生活を送ることができたと振り返ることができます。

 みなさんはどのような1年間を過ごされていましたか。

 良ければ、コメントしてくだされば幸いです。

 私もがんばるので、みなさんもがんばってください。