研究者を目指すという熱病

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論文のクオリティと締め切り期限

 あと1週間も経てば、後期博士課程3年になる。私の大学の博士論文の締め切り期限は12月末なので、論文を提出しなければならないタイムリミットまで、8ヶ月ということになる。もし提出できなければ、留年となる。

 

(ちなみに留年となる場合にも、身の振り方が少なくとも2つはあり、次年度に博士論文を提出することを目指す選択、博士論文のクオリティには達しなくとも、大学に常勤として就職できるだけの公表論文を提出することを目指す選択がある。そもそも博士という学位の認定基準は大学によりマチマチであり、法学においては、有力大学において学部卒の助手(助教)が採用されていることもあり、伝統的に、博士を標準年限内に取りきることがそもそも重視されているわけではないように思われる。それゆえに、博士という学位を取得すること(課程博士により修了すること)よりも、各大学(法学部)が持っている論文雑誌に掲載する論文自体のクオリティが直截に求められていた時代が長く続いてきたようにみえる)

 

 さて、前置きが長くなってしまったが、最近は物凄く焦っている。

 私が研究する領域における記念碑的な論文となりうるクオリティを維持しつつ、上記の期限を守らなければならないという重圧は、(当然だと思うが)去年、一昨年のそれとは比べ物にならない。

 期限が日々差し迫ることの影響により、がんばらなければならないのに、その重圧から、目の前の文献を冷静に読むことができなかったり、合理的ではない時間の使い方をしてしまう時もある。

 論文をとにかく出さなければならないというプレッシャーは重く、たまに弱い自分が顔を出して、「とりあえず論文をクオリテが少し落ちても期限内に出さなければならない」という声が大きくなってしまいそうになる。

 

 けれども、自分は論文のクオリティだけは落としたくない。このことは、研究者を志す以上、当たり前のことだと思う。

 

 その当然のことが当然ではなくなってしまわないようにしたい。

 大学院の中で少しの時間を過ごしていると、その当然のことがそうではなくなってしまった人の声を聞くこともある。

 私はそうはなりたくない。

   締め切り期限が迫っても、理想を持ち続けていたい。

 そして、お世話になっている人たちの誰もがその価値を認めてくれるような論文を書きたい。特に、一番つらかった時期の自分のことを待ってくれていた指導教授のことは裏切れない。ハッピーな形で大学院生活を締めくくりたい。