研究者を目指すという熱病

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私がフルコンタクト空手を辞めた理由

 夏休みにも入り、できるだけブログを1日に1度は更新しようと考えている。

 今日は、フルコンタクト空手の道場について書きとどめたい。以前、記事にしたとおり、私は編入受験の前年の年末に空手道場に入会したが、編入試験の合格直後に退会した。当時、頭痛と首痛の治療のために通っていた整骨院の一人の先生に勧誘されたことが、道場に入会したきっかけだった。

 それから、編入試験が差し迫った6月くらいまで、大体、半年ほど週二回の道場に参加していたと思う。それに加えて、空手の稽古が終わった後には、例外なく首の痛みがひどくなったので、稽古の次の日には大体、整骨院にも通っていたから、その先生とは週に4度も会っていたことになる。首を治療するために整骨院に通っていたのに、その場所がきっかけで首の症状を悪化させる武道をやりはじめるなんて本末転倒だったと思うが(笑)!

 それにしても、とにかく私は、空手の道場でも整骨院でも、先生に励まされ続けた。私が現役の受験生だったころから、浪人の失敗に至るまで、私をある意味でずっと知っていた人だったから、道場では背中で、自分との戦いに勝つために全力を尽くすことや、整骨院では首や腰を触診してもらいながら、色々な暖かい言葉をかけてもらった。その恩は今でも忘れない。また、道場で出会ったおじさんたちに、静かに背中を押してもらった。嫌な人は、一人もいなかった。その空手道場にいた大人たちは、別に特段、大学受験をしたわけでもなく、自営業者として一国一城の主として独立していた人が多かった。それゆえ、現役・浪人、最後に編入試験を受けてまで大学や学歴にあくまでこだわろうとする、私の価値観に、心の底ではそんなにこだわる必要はないと思っていたのは間違いないと思う。それでも、道場にいたおじさんたちは、私に対して例えば「社会は学歴じゃない、とか大学にいく必要なんてない」といった言葉を言う人は一人もいなかったし、皆が私の背中を押してくれた。合格した後、私は焼肉屋でみなに奢ってもらった。

 だが、それでも私は編入試験に合格した直後に、あっさりと空手道場を辞めてしまった。恩知らず、といわれれば、そうだと思う。だがそれでも辞めなければならなかったと思う。

 辞めた理由は、シンプルだ。

 まず、一番最初のエントリーで書いたように、私は、甲子園やインターハイに出てスポーツで華々しい活躍をした同級生たちに勝つために、何者かになるために、まず一番、スポーツとは正反対の「勉強」で何かを成し遂げることを選択した。だから、大学に合格した以上、私は、スポーツにかまけている時間は残されていないと思った。もちろん、矛盾はある。たとえば、なぜ編入受験生のときに、まさにそのスポーツである空手を始めたか、受験生のときも迷いなく勉強で一点突破すべきだったのではないか、矛盾しているのではないか、といわれても仕方がない。

 実際に、大学に合格した後、これから編入後の生活のための準備(法学)をしなければならない時期に、なぜ俺は空手をするんだ、という意識が頭から離れなかった。

 また、スポーツにおいてもっとも優れた才能の集まる野球で甲子園に出場した同級生にとって、私が、空手で成功したとしても、彼らにとってはほんの些細なことに過ぎない出来事にしかならないと思った。こうした思考になる以上、その意味では、私は最初から最後まで、そして(空手を続けていても)、空手という武道を愛するという精神ではなく、競技で結果を収めることに成功することを目指すという自己顕示欲のためだけに空手をやっていたのだろうと思う。

 次に、空手道場にいた前述の大人たちと関係がある。彼らは、基本的には、自営業者としてそれなりに安定し、また結婚をし家庭を持っているために一定以上のリスクをとることができなくなった、皮肉が込められうる意味での「成熟した大人」として、日々の終わりなき日常の退屈な空白を埋めるために、空手に取り組んでいるにすぎないのだと私は感じた。

 それゆえ、これから自分の道を切り開いていかなければならないと思った私にとって、空手道場という「箱」は、少し退屈なものに感じた。もっと大きな世界に飛び込みたかったし、空手団体同士や武道・格闘技団体同士の縄張り意識や階層意識も、そこに属する大人たちの小ささを感じさせた。まだ、東京五輪が決定する前で、フルコンタクト空手の団体同士の連携が、ほんの少しは取られるようになった遥か以前の話だ。それでも、フルコン空手に限っても、同じ階級に、幾つもの団体の全日本チャンピオンが同時に複数存在するというのはおかしな話だと思う。

 辞めようと思った理由は、ほかにもたくさんある。道場を辞めたことはそれまでの人生の中で、切実な、理由によるものであり、決断だった。いま法学研究科で研究者を目指している以上、道場を辞めたときの気持ちを初志貫徹できていると考えている。

 日本では、部活や習い事などをやめるときに、批判的な文脈や言葉で語られることが多いと思う。「途中でやめると、怠け癖、負け癖が付く」とか、「どうせ部活を辞めても余計にだらだらした生活を送ることになるだけだ」とか、もっとはっきりと「あいつはどこにいってもだめだ」という言説だ。

 しかし、そもそもこうした言葉はまさに、我々にあっさりと辞められた側の人間の、すなわち、あなたの場所やあなたの下で何かに取り組むことが、我々の人生にとってプラスにならないと宣言された側の人間の言葉だ。

 我々には、人生でくだらないことに費やす時間などない。人生に与えられる時間はものすごく短い。明日、心筋梗塞で死んでしまうかもしれない。だからこそ、自分が与えられた選択肢の中で、最も価値があると考えることのできる世界で時間を費やすべきだと思う。当然、その結果として挫折することはある。だが、挫折は挫折でも、たとえ失敗したとしても人生を賭けるに値すると信じた場所で、挫折に負けずに戦い続けるべきだと考える。したがって、自分にとって必要がないと思ったことは、ばっさりとそこから離れるべきだと思う。このことは、部活、習い事、学校での勉強、会社などに(も)あてはまると考えている。結果を出すためにベストな環境を作ることが大事だと私は考える。例えば、野球やサッカー、空手家などの格闘技選手などのプロスポーツ選手が、自分の競技の試合や練習に影響が出るスポーツや習い事に興じていれば、当然、批判されるだろう。体力と精神力を投入する勉強や仕事にもこのことが当然にあてはまるというのが、私の考えだ。

  私は、ある程度、このことを実践できたと考えている。しかし、その結果としてその後、精神的な問題に悩まされるようにもなったし、今では「何事もほどほど」が大事だと考えるようになった。具体的にいえば、趣味に興じる時間を作ることも重要だと素直に考えることができるようになった。それゆえ、0か100か、黒か白かしかないと考えていたのが昔の私であるとすれば、現在の私の考え方は、随分、丸くなったといえる。

 しかし、私が編入試験を終え、法学部に入学し、それから法学研究科に入学することを志望するまでに、どのようなことを考えていたかについて、記録しておきたかった。この当時の私は、本業から逃げてフラフラといい歳になっても趣味の世界に走り、自分探しを続ける人間のようになりたくないと思っていたし、熱狂できるだけの仕事を見つけることができなかった人たちのようにはなりたくなかった。極端なプロ思考の人間として仕事に熱狂し、仕事で死ねる大人になりたかったのだと思う。  

 

「おわりに」

 最後に、「私がフルコンタクト空手を辞めた理由」という本エントリーの標題の内容とは、厳密には異なる内容について少しだけ踏み込んだことを書きたい。

 私は、常々、部活や習い事の指導者として子どもに関わる人たちがなぜ強者の立場から発言するのだろうか、と率直に不思議に思っている。というのも、その指導者の多くが、必ずしも勉学に励み、就活戦線を勝ち抜いた上で、事業会社の中で結果を残したり、スタートアップ企業を立ち上げることで社会に対して新しい価値を生み出している側の人間ではないからだ。その意味で彼らは、ある意味で社会のメインストリームから外れている。むしろ、私が出会ってきたそれらの指導者の多くは、ある段階で社会のメインストリームから外れたが、自分なりの自己実現の方法を見つけ出して、カウンターの側として、つまりanotherな立場から、生きる喜び、生きがいを見つけた側の(素敵な)人たちだと思う。

 にもかかわららず彼らが、何かを辞めて心機一転しようとする下の世代の人間にそれほど親切ではない態度をみせるとき、私は彼らに対して何処かやり切れない感情をもってしまう。具体的にその感情を説明すると、自分たちは妥協して、ある立場から見れば逃げて、好きなことをやっているにもかかわらず、自分たちの怠惰を棚に上げて偉そうに説教する姿は見るに耐えないという気持ちだ。

 つまり、社会の中で息苦しさを感じた中で「自分らしさ」や、自分の好きなことを職業にできるかもしれない可能性やそれを実現した人たちが、今度は、なぜ自分たちの下の世代に対して、ある一定の社会に閉じ込めようとすることによって生ずる息苦しい空気を作ろうとするのだろうか。なぜ、他者の決断を尊重できないのだろうか。

 この疑問は、無論、「仕事に熱狂し、仕事で死ねる大人になりたかった」という価値観を前提に、空手を楽しんでやっている人たちに対して一定の否定的評価を行った私が、何らかの形で他者に接するときに、特に下の世代の他者と接するときに、当然に跳ね返って刺さってくる。つまり、空手をがんばろうとし、道場などを設立して、その道で身を立てようとしている高校生や大学生、あるいは社会人の人たちに向かって、「もっと勉強や仕事をがんばるべきだ。」と、私が、言うことは許されないと考えている。

 一言で言えば、私たちは、他者に対して「こうあるべきだ。」と要求することができるに値する生き方をできているのだろうかと、常に問うべきであると思う。