研究者を目指すという熱病

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高松での想い出、手放すことなどできない1冊

 自己の研究との関係でブログの更新も滞りがちとなったので、今日は、少しだけ編入試験を受けた当時の高松での想い出と、その商店街で購入した1冊の本についての話を書きとどめたい。2012年の出来事だ。

 私が編入試験の受験生だった当時、高松にある国立大学を受験した。幸せな町と書いて、幸町(さいわいちょう)と呼ばれるところにある大学だ。幸町自体は、住宅に囲まれた閑静な場所だったが、高松全体は美しい土地だった。

 私が試験前日に宿泊したのは、玉藻公園や、瀬戸内海を往くフェリー乗り場の近くにあるホテルだった。試験は9月中旬にあった。熱気に包まれた8月の自室で、自分の汗を、英語の参考書の、安っぽい薄めの紙に滴らせて、それを少し湿らせながらページをめくっていた時間はあっという間に溶け去ってしまい、受験日の朝は、磯の香りを携えたしごく冷え込んだ風が私に吹き込んでくるのを感じながら、旅行がてらに私についてきた父の車に乗って試験会場である大学のキャンパスに向かったことを今でも覚えている。

 ここで、受験の仔細を述べるつもりはない。結果だけ言うと、私は合格した。

 合格してから、いや受験する前から私は高松にあるこの大学に進学するつもりだった。十字路のセントラルにあたる、歌劇場のボックス席を思わせるモールを包んだ、透明でガラスの円形ドームと、昔ながらの商店とが共存する素晴らしい商店街の存在からだけではない。

 自分のことを知っている者が一人でも存在する、成人式にも行かなかった、生まれついた街から抜け出したかったからだ。何か、新しい場所でスタートを切るという、ありふれた物語の主体になることに憧れていたからだ。

 だが、それは頓挫する。自分で決めたことであるけれども、家庭の金銭的な理由で地元から通える大学も受験することにしたからだ。両親に対する忖度に近い。高松にある大学よりも、何ランクも高い大学だ。受かるとは思っていなかった。8月には受験を考えたこともなかった大学だった。どちらかといえば高松に行くために、地元から離れることを事実上、確定するために自分の実力よりも遥かにレベルの高い、身のほどをわきまえない大学を受験することにしたといっても過言ではない。高松に行きたかった、高松に行くつもりだった。

 また、正確に言えば両親は私が高松にいくこと「も」反対していなかった。実際、関西の編入試験を厳冬に控えながら、高松の大学に合格した後、私と両親とで現地に赴いた。高松での下宿先の仮押さえのために。

 下宿先を決めた帰りに、高松の、十字路の円形ドーム内にあった、二階だったか、三階だったかの紀伊国屋書店に立ち寄ることにした。そこで、私は長谷部恭男先生の新世社から出版されている基本書を購入した。

 私が法学への編入を決めたのは、間違いなく、長谷部先生が執筆された新書を読んだからだ。その大学の編入試験で必要だった志望理由書にも、長谷部先生の新書を読んだことを書き込み、提出した。自分の望む大学に合格したそのときいま、何か資格を得たような、そんな気持ちをもって、基本書を手にとり、読み進めようと思えた。その紀伊国屋書店は去年で閉店したようだが、3000円と少しのお金をレジで支払って、丁寧に袋に入れてもらった紺色の包装袋の、ずっしりとした重みをよく覚えている。

 編入予備校の先生に薦められたわけでもなく、指定教科書だったわけでもなく、また編入試験という、受験対策に囚われた圧迫に拠るものではない、あくまで純粋に自分が読みたいと思い、自分の意思で購入した最初の体系書だ。これが、私が最初の法学部へのパスポートを手にした高松での一番での想い出だ。

 だが、前述したとおり、けっきょく私は自宅から通える大学に進学することになる。結局、私は大学名に囚われていたのだと思う。地元から通える大学で現在の指導教授に出会えたという信じられぬほどの幸運を掴んだ今でさえ、その決定に、私は、抜け出せない枷に囚われ続けていることが現れているのだと思う。

 関西の大学に進学してからも、私は金銭面で苦しむことになる。現金がなく、購入した法律書を売り払わざるを得ない時期もあった。だがその時期にあっても、長谷部先生の体系書だけは手放すことができなかった。手放そうと検討したこともある。私が所有している第5版が改訂された、2014年の秋だ。改訂されることで、私が所持している旧版の市場価値が下がる前に売ってしまう算段だった。確か当時、2000円くらいで売れたと記憶している。

 しかし、結局、その本を手放せなかった。2000円と引き換えに、「比較不能」な何かを引き渡すことができなかったからだ。それから4年後の今年、長谷部先生の体系書は、再び、改訂されたらしい。第7版だ。私が購入したのは第5版になる。私の本は2版も古い本になってしまった。あれ以来、高松には一度も行ったことがない。

 だが高松と1冊の本にまつわる想い出は、いつでも引き出せる。

 

 それと・・・いま、わたしは、先生により積み重ねられた版と同じように何かを積み重ねることができているのだろうか。