研究者を目指すという熱病

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法学部への編入試験でメンタル的に参っている人へよせて

 大学院での自分の研究の進捗報告の準備のために、ついブログの更新が滞りがちになっているので、今日は簡潔に、法学部への編入試験の受験勉強でメンタル的に参っている人、また付随的に法学に係るペーパー試験に対してメンタル的にナーバスになっている人らに対して、私なりに感じたことを書きたい。

 私が法学がかかわるペーパー試験を受けた経験は、編入試験に始まり、法学研究科への院試が最後だ。幸い、私は院試を最後に筆記試験を受けることはなくなった。

 だが、その始まりから最後の試験まで、私は常に、もし数十ページあるレジュメのうち自分が極めて簡単にしかテストのために準備できなかった部分が出題されたらどうしよう、それが怖いから300頁もある教科書を読み込んだが、もし時間との物理的限界から手薄にしか準備できなかった数頁についての説明問題が出題されたらどうしよう、などという、テストが終わるまで決して解消されない不安に襲われ続けた。

 今考えると、テストの準備中にこんなことをくよくよ考えてもどうしようもないわけではあるが、こんな不安に常に晒されて、逃げ出したくて、どうしようもなかった。

 実際、その不安が図らずも現実化したことがあった。学部で受験した刑法総論の期末試験では、ここは大丈夫だろう、もう少し違う領域に時間を使いたいと思ってサラッと流した知識が、期末試験で問われ、私は文字通り、大爆死した。刑法はかなりの時間を使って勉強したにもかかわらず、私に残った評価はCだった。

 その結果、当時、私は大学院への進学を前提に期末試験の成績に執着していたので、その刑法の期末試験後は、さらに細かい、細かい、重箱の隅にあるような、細かい細かい知識まで暗記しなければならないというある種の完璧主義者となり、その結果、その後の期末試験ごとにより強烈な不安を抱えるようになっていった。

 だが大学院に入学し、期末試験から開放されある程度冷静さをもって、「試験」というものをみつめてみて私が言えるのは、「試験」は相対的に評価されるものだということである。結局、周りの受験者に対して秀でていれば、いい成績が取れるし、周りの受験者と同等のことができれば大崩れすることはないということである。だから、とにかく情報を収集して、周りが当たり前にやっていることを当たり前にやるだけでいいんだと考える気持ちを持つことが重要だと思うし、さらに具体的にいえば、当該試験の過去問を分析してここは出そうだよね、と他の受験生(者)の多数が考えている、ないし考えているであろう知識を最優先でしっかりと押さえ、それが終わってから受験者の多数が用いる教科書・参考書類の中で、受験者の多くが「重要だと考える」基本的な部分を丁寧に繰り返し読むことから勉強を進めるべきである。このようにして勉強を進めれば、少なくとも、試験でずば抜けて秀でた答案を書けなくても、相対的に、大崩れする結果にはならない。

 また、上記の不安が現実化する危険は、法学の知識が問われる、あらゆる試験の受験者全員にあてはまると思うが、そもそも重箱の隅をつつくような細かい知識が問われたとしても受験生の大半はできないのだから、過剰に、どんな試験問題が出るか分からないということに係る不安を過大に捉える必要はない。

 そして「基本的知識」を限りなく徹底的に押さえることを対策の原則的指針とした上で、この基本的知識の外側にある発展的知識を少しずつ、出題されたらラッキーだと思うくらいに肩の力を抜いて楽な気持ちを持って、増やせばいいという思考に切り替えた方が精神衛生上、ベターである。

 少し違う言葉で換言すると、テスト範囲広すぎて何から何に手をつけていいか分からない!!なんて不安に襲われる必要はない。何度も言うが、各々の試験で受験生の多くが行っている対策を淡々となぞり、真似することから始めればいいだけだ。

 でも、それだけだったら、平凡な答案になってしまって、いい成績や合格できないんじゃないの?という疑問がわき上がると思う。

 だが、結論を一言で言えば、「合格者」が当たり前のようにやってきた対策を忠実に履行する受験生はあまりにも少ないというのが、私の実感だ。編入試験であれば、予備校や、ネットにいる合格者の複数が実践した勉強方法の最大公約数を自分の中で分析し、忠実になぞり、そこでこれだけはやったほういい、読んだほうがよいと考える最低限のことを履行すれば、編入試験では複数、国立や私立大学を受験できるのだから、どこかの大学に合格することができる。断言する。

 そして、もしも、あなたが受験した際に、直接は勉強していなかった(たとえば会社法の)知識が出題されたとしても、自分がそれまでに習得してきた知識を応用して、「憲法民法では○○のような考え方があって、それを敷衍すれば~と私は考える」と、自分が編入試験の受験対策の過程でいかなる勉強をし、知識を習得してきたかを吐き出せば、その努力の過程を法学部の教員はしっかりとみてくれる。私も、実際、自分が全く学習したことがなかった法領域の知識が問われた問題が編入試験で出題されたが、頭の中に存在する知識をなんとか吐き出すように振り絞って回答し、合格できた。

 そもそも、編入試験は法学部に所属していなかった人を、すなわち多様な人材を、法学部で勉強するチャンスを与えるために用意されているわけなのだから、法学の知識をこれから法学部で存分に習得しようとする人が、自分の頭で問題をみつめて考える知識を編入試験の答案で吐き出せれば合格できるわけで、受験生の法学の知識がまだまだ不十分であることはむしろ当然のことである。

 だから、編入試験の受験を検討している最中で、書店や図書館で法律書を一瞥してこんな量の知識を頭に入れるなんて大変そう、とか、勉強が進んでどれだけ勉強をしても勉強しなければならないことが多すぎて、どんどん増えて逃げ出したくなる、とか過去問を見たけどこんな問題解けるわけがない、と思う人は、楽な気持ちで受験勉強に取り組んで欲しい。

 また、会社法なんてわからないし、民法だってちょっとしかできてないし、憲法だって難しくてよくわからないし、もしこれらの知識が試験に直接、出題されて、白紙のまま答案を出すことになったらどうしよう、と不安に襲われる気持ちは、確かにとてもとても本当によく分かるが、そういう試験問題が出てきた場合にも、とにかく、自分はこういう勉強を受験のためにし、知識が頭の中にあって、その知識から試験問題に対して答えを与えようとすると、こういう解答になります、ということを示せればそれだけで十分であると言っておきたい。

 採点する先生は、その答案の受験者が、どれくらい勉強してきたかを十分わかってくれるはずだし、この子が(たとえば)憲法をしっかり勉強してきたんだ、ということは十分に伝わるはずだ。私もそうやって編入試験に幸運にも合格した一人だ。

 

追記)今回の記事では、受験勉強に対していかなる心持ちで進めていくべきかについて簡潔にアドバイスを送ることを目的とした。また、ここで専ら内面的な心理状況と区別できる勉強計画の立て方としてアドバイスしたいことは、とにかく、周りの受験生や予備校に在籍する、「平均的受験生」がどのような方法で、どれくらい勉強しているかを知ることが重要だという点だ。この記事にたどり着いてくださった読者のみなさまには、法学の膨大な知識と知見を前にしてナーバスな気持ちになるよりも、他の受験生と戦うことを意識して欲しい。確かに、(例えば)一冊の法律書をはじめて手に取るとき、その分厚さに初学者は圧倒されがちであるしナーバスになる気持ちも理解できるが、重要なことはほかの受験生がやっていることを、最低限、きっちりとまずは押さえることだ。編入受験の経験者の合格体験記の中には、確かに新聞や新書、専門書を読み漁る猛者もいるが、法学部への編入の場合に、まずはきっちりと法学概論の知識を押さえるだけで十分に戦える。その上で、自分の得意な領域の知識を少しずつ増やしていけば、編入試験の場合何校でも国公立や私立を受験できるのだから、どこかいい大学のひとつに合格することができるはずだ。

 少なくとも編入試験で、その法律書の知識を隈なく「暗記」する必要などない。これは、英単語帳を購入してそこに記載されている単語をすべて暗記する必要がないことと、同じだと思って欲しい。