研究者を目指すという熱病

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米谷奈々未さんの卒業について

 長かった夏休みも、大学の暦的には明日で終わりで、この夏はとにかくドイツ語だけを読みまくった二ヶ月だった。自分が欅坂にハマッたのは、確か、お盆が過ぎた頃だったと思うので、欅坂を少しだけ追いかけ始めて初めてこのグループで卒業を発表したのが、米さんこと米谷奈々未さんということになる。

 研究をしているときや、気分転換でウォーキングやジョギングをしている際に、欅坂関係の過去のラジオを聞いていたので、米さんと言えば、自分の推しの長濱ねるさん、はんにゃ金田さんと一緒に出演していたラジオ番組を思い出す。

 「制服と太陽」の話や、大学の生物の授業が楽しくて、楽しくて仕方がないという話を米さんがしてくれた回で、今年の5月のラジオだ。

 米さんと長濱さんが欅坂としてデビューするまで、進学校に在籍していたことは有名な話で、長濱さんは高校を卒業してから大学に進学しなかった一方で、米さんは大学に進学したという点で二人の経歴は対照的な経歴であるといえる。今となっては、推しのことしか考えてないと反省しているのだが、そのラジオを聴いていたときに僕が考えていたのは、大学での授業の話を楽しそうにする米さんに、大学に行かなかった長濱さんが何を想っているのだろうか、ということだった。いや、本当に私は反省している。

 米さんはそのラジオで、カップリングとして「制服と太陽」をリリースした頃が、まさに大学に進学するか、進学しないかを迷っていた時期で、そうした経緯からこの曲を「エモい」と表現していた。

 おそらく、たぶん、いやひょっとすると、そのラジオが放送されたのはつい数ヶ月前の5月に放送されたものだから、そのラジオが放送された時期に、既に、「制服と太陽」の状況におかれていたのではないかと思う。ある種の決断を迫られた、この曲の歌詞における主人公が、現代進行形で米さんに寄り添っているとは想像していなかった。ずっと悩んでいたのだと思うし、それを、おくびにも出さなかった米さんは辛かったと思う。

 そんな米さんが、いよいよ、大学の研究一本の生活を選び取ったというのだから、院生の端くれとして、応援せざるを得ない。一本の大木の幹から、自らの道を選び取った太い枝となって葉を生成し、過去に対する後悔の一切を全て熔かす熱を持った太陽と同じ色を持つ、見事な紅葉のように、研究の世界で大学で燦々と煌めいて欲しい。

 僕は、欅坂を知ったのが前述したとおり、あまりにも遅すぎたので、デビュー時よりもいっそう垢抜けて可愛い米さんしか知らない(そもそもデビュー時だって可愛い)だけに、確かにアイドルを辞めてしまうのは勿体無いという意見も理解できるが、自分が選び取った道を突き進んで欲しい。本当に。

 サイレントマジョリティの「ここにいる人の数だけ道はある」って歌詞が心に染みる。いい歌詞ですよね。こういう曲をパフォーマンスしたアイドルグループの一員だからこそ、「ごめんなさい」と言って去るのではなく、頭を上げて、顔を上げて、前を向いて卒業していって欲しい。

 なんか、最後は「欲しい」「欲しい」「欲しい」の3連呼になってしまった。

 自分にも、ある意味においては道半ばで、辞めてしまったものが幾つかある。例えば、空手がそうだ。辞めるとき、道場のみんなに投げ出したと思われたり、弱い人間だと思われるのかもしれないと思うと、それが嫌で嫌でたまらなかったし、ちょっと後悔したことも、もし辞めていなければどうなっていただろう、と考えたこともある。

 でも、やっぱり、今となってはあのとき辞めてよかったと、はっきりそう思える。

「語るなら未来を・・・」

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