研究者を目指すという熱病

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米谷奈々未さんと長濱ねるさんのラジオを聴いて改めて思うこと

 昨晩、卒業を発表されたばかりの米みんこと米谷奈々未さんが、長濱ねるさんがパーソナリティーを務める「こち星(略称)」という2018年10月12日放送分のラジオ番組に出演されていた。端的に、2人が語る内容は、一ファンである私が言葉で表わそうとすると陳腐になってしまうくらい、素晴らしかった。

 だから、なんとなくそのラジオの内容を聴いて、ファンとして思ったことを書いてみたい。自分は、例えば以下のブログなどですでに現れているとおり、

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特に長濱ねるさんに対して、本来の英語の意味における「IDOL」としてみることによって、彼女に対して「こうであって欲しい」とか、「こういうことを曝け出して欲しい」というファンの願望を勝手に抱いて、勝手に押し付けていた、ということができるのかもしれない。

 確かに、右の記事で書いたとおり、僕は、長濱ねるさんにぜひ、エッセイや小説を書いて欲しい。長崎をいわば一度は捨てながらも、上京してからあらゆる媒体で積極的に地元である長崎を売り込む彼女のお仕事や、2017年まで兼任していた「ひらがなけやき」から離れざるを得なかったことを知ったとき、「大事な場所」を手放して失いながらもそれでも前に突き進まなければならなかった、そして突き進んできたことについての彼女の前向きで積極的なattitudeやその影にあった「痛み」を、率直に私は、紙媒体で彼女が「言葉」を用いて行う仕事でも、ぜひ読んでみたいし、感じたいと思った。だから、長濱さんが「澤本・権八のすぐに終わりますから。」というラジオ番組で、エッセイを書きたいと話しているのを聴いて、期待している自分がいる。 

   ただ、このような(傲慢にも私がやってのけたような)ある種の、アイドルとしての偶像化は、等身大の彼女たちの実像から離れた、虚像を押し付けていることを意味しうるとも思うようになった。そこでの彼女たちに対する視線は、米みんと長濱さんがラジオで話していた「欅としてのフィルター」を通して送るものでしかないのだろう、と。

 そして、米みんが、大学の友達はすごいフラットな目線で自分を見てくれる、とラジオで言った後に、二人が声を揃えて「欅としてじゃなくて。」と言った音声を聴いたとき、心にグサッと来た。

 なんというか、ファンとしてアイドルに対してどういう態度で応援すべきか、ということを改めて考えさせられるというか、つまり、ファンが自分勝手な虚像を押し付けるべきではないという気持ちにさせられた。ただでさえパフォーマンスをする際に苦しみとか痛みを伴う楽曲の歌詞を表現するアイドルグループのメンバーに対して、ファンの自分が許されることって、ただ見守っていくことなんだろうな、と思わせられた。プライベートな領域での彼女たちを知りもしないファンが、一方的に、この子は「こういう人」だと勝手に規定して、こういう仕事をして欲しい、こういう文学的な表現をして欲しいと要求すること自体が、むしろ彼女たちのことを苦しめたり、戸惑わせうることに、改めて気づかされる。

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 このことを、ライムスターの宇多丸さんが、「博士の異常な鼎談」という番組で岡田有希子さんに言及した文脈で完全に、しかも極めて適切に表現し切っていたことを、実はつい最近まで完全に失念していた、というか聞き流していた。その理由として、アイドルにハマッたことがこれまでになかったことを挙げることができるかもしれない。いずれにせよ、宇多丸さんの「アイドルが好きだからこそ、アイドルを殺すシステムに加担したくないと思って」というその前後の一連の発言は、物凄く重くて価値のある言葉として頭に残ってしまった。

 ただ、今の私は、宇多丸さんの話を、それなりに理解できるようになれたと思う。

 まず、米みんに対しては、自分がいちばん、自然体ですごすことのできる場所を見つけたことを、祝福したい。なんというか、本当に、前回、米みんの卒業についてふれた記事でも書いたとおり、「ごめんなさい」じゃなくて、前を向いて卒業して言って欲しい。卒業発表時のブログの悲しみに包まれたトーンとは打って変わって、卒業発表後に登場したShowroomでも、昨晩のラジオで米みんが元気そうで本当に良かった。

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 そして、これからアイドルとして活動していくであろうメンバーには、のんびり見守るべきであると思うし、あまり追い詰めずに無理をしないで活動して欲しいと心の底から思う。

 当然、志田愛佳さんのように活動を休止しているメンバーに対しても、同じ気持ちでゆっくり見守るべきだと思う。

おわりに)

 この記事では、自分が特に推している長濱さんの話に話題で横道にやや逸れてしまったが、このブログの記事を書こうと思った直接的な動機は、米みんが学業優先を理由に卒業を発表したことについて、インターネットのコミュニティで、「アイドルとしてデビューした以上、学業優先ってどういうことだよ。」という意見をみたからだ。

 言い訳せずに言いたい。私もこのインターネット上の批判ほど刺激的ではないと思っているが、米みんが卒業を発表する、2ヶ月前の8月の記事で、

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「長濱ねるさんにハマっている!!」という内容の記事を書いた際に、「進学校に通い、約束されていた将来に、明白なNOを突き付けてアイドルとしてデビューし、周りのメンバーが大学を受験し、そして通学し、あるいは受験勉強のために休業したり、レッスンを途中で抜けるメンバーがいる中で、高校を卒業してアイドル一本でがんばる長濱さんの姿は、一言で、惚れ惚れする。」と表現してしまっている。

 改めて、米みんの卒業発表を思うと、自分が書いておきながら「これはないよね。」と思ってしまうし、「君は君らしく生きて行く自由があるんだ」という歌詞をパフォーマンスするアイドルを応援する俺が、メンバーひとりひとりが悩みながら学業に力を入れることを決めた決断に対して、あまりに無神経なことを書いていたと思う。

 私も含め、10代の頃って、スポーツに打ち込んだり、勉強に打ち込んだりしながら、あるいは音楽などの芸術活動に打ち込んだり、あるいは何も打ち込めることがなかったりする中で、いま「大人」になっている大半の社会人が、その頃に打ち込んでいたこととは全く関係がない職業に就いているように、迷って迷って迷って迷って寄り道したり、色々なことに関心を持って片足を突っ込みながら、自分のどこかにあるはずの道を模索するわけで、「アイドル」だって10代、20代の生身の人なわけだから、色々なことに興味を持って、例えばその関心のひとつが大学であり、学問であり、じゃあそこに行くための受験勉強にちょっと休業したい、あるいは米みんのように「アイドル」を卒業して、大学の生活に専念したいと考えることって、むしろ普通のことだよね、という思考に至らなければならなかったのだと思う。