研究者を目指すという熱病

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映画『コーヒーが冷めないうちに』を観てきました;微ネタバレ

 10月となり、暦的には大学院の夏休みも終わって、ちょっと夏が恋しくなる時期に、主演の有村架純さん演じるカフェで働いている店員の時田数が淹れるコーヒーを飲めば過去に戻れるが、過去の出来事は一切変えることができない、というストーリに惹かれて、表題のとおり、映画『コーヒーが冷めないうちに』(塚原あゆ子監督、川口俊和原作)を観てきました。

 

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 まず、この映画を観に行った理由を説明したい。

 ちょっと過去の話になるが、自分には全く家から出れなくなった時期があって、昔のことを何度もループしては、ループしてその前後の楽しかった時期のことを思い返したり、朝起きたときに高校時代や中学時代の友達が夢に出てきて本気で死にたくなるような人間で、とにかく過去に対する思い出と、過去に自分がしでかした出来事との後悔にまみれた生活の中で、ドラえもんとか映画だと『ルーパー』とか、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』とか、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などのタイムワープもので、本気で、気を紛らわせていた。僕以上に、タイムマシンが欲しいと願う、人がどれだけいるのか、と本気で思っていた。 

 ただ、こうした映画は、過去(ないし未来)に戻ったり、やり直して、現在や未来の世界を「良い方向」へと改変するストーリだったので、本当に文字通り、単なる、慰み物や現実逃避に過ぎないと、心の底では思っていた。なぜなら、この現実の世界では、過去に戻って、やり直そうなんてできないから。ドラえもんのように、過去から猫型ロボットがいきなりやってきて、現在の生き方を変えれば、憧れの女の子と結婚できるかもしれないという、明るい未来を提示されるなんて漫画の世界は、我々が生きている現実世界では起こりえないから。

 こうした考え方を、ある種のタイムスリップモノのSF映画に対して持っていた中で、かねてから本屋さんで「映画化」と大々的にポップやポスターで紹介されていたことを覚えていた、コーヒーを飲めば過去に戻れるが、過去の出来事は一切変えることができない、という作品が、劇場公開されたということで、鑑賞してきました。

 この記事ではできるだけネタバレ、結末を明かさずに感想を述べたいと思います。

 まず、主演の有村架純さん演じる時田数さんは、謎が多い人物として描かれる。前述のとおり、彼女が淹れるコーヒーを飲むことによって、過去に戻ることができるわけであるが、序盤での彼女は、過去に戻ろうとする者たちに対してかなり醒めた表情で、淡々と、また事務的に過去に戻ろうとする彼ら、彼女らを見守っている印象が強い。お客さんに感謝を伝えられて微笑みを漏らすシーンもあるが、影を隠しきれない「数」が、なぜこの喫茶店で働いているんだろう、といった疑問が自然とわいてくる。

 また、彼女には彼氏どころか、友達すらいないことがわかる。同性であろうと、異性であろうと、あんなに可愛い顔の数のことを放っておくなんて一体、このスクリーンの中の世界はどうなっているんだ、と突っ込みたくなる。喫茶店でクールに淡々と接客しながらコーヒーを淹れる姿だけでも「数」には隠し切れない感情の澱みを観客として感じざるを得ないのではあるが、「彼氏を作る前に、友達を作らないと、と言われている。」と「数」が明かすように、彼女のホームフィールドである喫茶店という空間から離れるといっそう、会話も表情もぎこちなくなり、彼女がはっきり言えば「コミュ障」側の、孤独な人間であることが明らかとなる。さらに、彼女は幼い頃には、母と二人で暮らしていたことを、意味深に告げる。

 彼女が、淡々とコーヒーを淹れ続けるのには「理由」があるんだろうなあ、とか、なぜ彼女には友達がいないのだろう、とか、彼女がとても寂しそうな人に映るのはなぜなんだろうか、お母さんが出てこないのはなんでなんだろう、などと考えながら僕は徐々に、映画へと、そして「数」に没入していった。

 たぶん、こうやって映画に入り込めたのは、有村さんの演技とキャラクターがあってのことだと思う。なんというか、『CUT 10月号』の有村さんのインタビューを読んで、この映画に行ってみようと思った部分も少なからずあるのだが、その中で、彼女が「アイドル女優」としてカテゴライズされてしまうのが嫌だということを言っていたので、以下のような褒め方をするのはたぶん嫌なんだと思うけれども、可愛らしいルックスが多分に含まれる有村さんのキャラクターがあるからこそ、静かで淡々とした、まるで敬語を用いることで他人との距離を敢えて取っているかのような時田数のような登場人物を有村さんが演じたとき、「数は、なぜこんな人間なんだろう?」という興味が一層、掻き立てられるのだと思う。

 さて、ネタバレは避けたいので、ここでストーリーにかかわる叙述はとどめたいと思う。

 映画のエンディングに対する僕の個人的な願望として、映画の序盤、中盤を観た時点では、劇中に「謎の女」として登場する「幽霊」は、「幽霊」のままで、「過去」にしがみついた者として「亡霊」のまま「今を生きる」ことを失った者として、死人のようにふらふらと彷徨ったまま終わる、ストーリー展開を心の中では期待していた。

 もっとも、実際の映画の展開は予想していなかっただけに、「そう来るか。」と思わされる展開で良い意味で驚かされた。映画館を出たのが21時過ぎで、ご飯を食べながらこの記事を書いているのが23時であることを加味すると、それだけで僕の熱量もある程度は伝わると思う。ぜひ、映画館に足を運んで確認してみてほしい。

 最後に、この映画で特に言及しておきたいのが、喫茶店から離れて、伊藤健太郎さんが演じる新谷亮介と、2人で色々な場所へお出かけするシーンが素晴らしかったことだ。静かで、綺麗なシーンが流れる映像だけで満足度が高まる。シネコンのメインスクリーンの最前列のド真ん中で観ることができたので、これらのシーンがずっと続けばいいのに、と思えるほど幸せだった。

 あとは、本当は個々で言及したいのだけれども、他の役者さんたちの演技が素晴らしかった。他にも色々書きたいことがあったのですが、ちょっと、今日は色々予定も詰まってたので疲労困憊で、研究で体力も精神も消費したので、今日はもう寝ます。最後は投げやりな感じですいません。

 明日も、がんばっていこうと思えた映画でした。4段落前の、「個人的には」以降の段落で、自分のストーリーについての「願望」みたいなものを書いてしまったので、これがもし不満っぽくみえたのなら、そうではなくて、本当に良い意味で、物語がどんどん転がっていく映画なので、ぜひ映画館に足を運んでみてください。

 今日は充実した1日でした!ぐう疲れた!!f:id:hougaku-0106:20181001231219j:plain

翌朝の追記)感想の「率直性」「公平性」の担保のために追記しておきたい。

 個人的には、映画の劇伴のBGMが壮大すぎたり、最後のエンディング近くで、過去に戻ってから再び現在に帰ってきた人たちが、これからの「現在」をどう生きなければならないかについての、ある意味では熱すぎる演説を登場人物たちが行う演出は、悪い意味で過剰だったと思う。でも、これも好みの問題だと思う。僕が気になった点は、それくらいです。

 最後にこういうネタバレブログを書いている張本人が言うのもなんだけど、映画の予告や特報とか役者の座談会などのプロモーションをできるだけ見ないで映画館に行けたことが、個人的には映画を楽しめた理由だと思う。

10月30日の追記)本作主演の有村さんと、監督の塚原さんが演出として参加されている『中学聖日記』が素晴らしい。婚約者や教師、女性という特定の社会的立場で要求されるしがらみの中で、有村さん演じる中学の教師であると、そのままの彼女でいいと全肯定する岡田健史さん演じる中学生の男の子との、恋愛の描写が素晴らしい。

 「中学生との恋なんて気持ち悪い」とか、「教師が傷の手当のために中学生を自宅に連れ込むのはおかしい」といった批判もあるようだが、彼女がなぜ中学生を好きになってしまうかについて、丁寧に描かれている。

 有村さんが演じる女性が感じている「理想的」な婚約者の男性との様々な距離や、女性であるがゆえに婚姻後は仕事を退職すべきだと説く周囲からのプレッシャーに晒され、他者からの要求に応えようとする彼女の姿が丁寧に描かれている中で、大人とか社会とかルールとか、それら全てを突破しようとする中学生男子の直線的な言葉が、彼女の辛さを拾い上げてそのままの彼女を肯定する。「僕はまんまがいいです。今のまんまの聖ちゃんがいい。」と言い切った彼の台詞が印象的だった。

 これまでの4話まで、1ヶ月間見続けてきたが、素晴らしいドラマです。

 批判されてると、応援したくなっちゃうんだよなあ。

 祥伝社より公式のビジュアルブックが出るようです。