研究者を目指すという熱病

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高校(現役)時代の大学受験、そして失敗

  前回、大学受験の理由と経緯を記事にしました。

  私は、学年で1位をとった7月の模試の後、一般受験で大学受験をすることを決めたが、関関同立以上の大学にいくことを目標として設定しました。その理由は明快で、同級生が誰も進学できない大学に行こうという単純な動機でした。ただ、今考えるとその目標設定は、進学校に進学した人の模試上の偏差値40以下ならともかく、本当に机に向かったことがなく流れるままに「偏差値40以下の高校」に進学した私にとって、無謀な設定でした。

  当時は、「偏差値○○からの合格!」のような体験談も、「ビリギャル」のような本も映画もなく、孤独に勉強を始めましたが、なぜかその当時の私はかなり強気で、校内で受ける模試ではなく、初めて外部に受験しに行った全統記述模試で、私は「偏差値40以下の高校の学年1位」の実力の現実を思い知らされました。全統模試の会場は、立命館衣笠キャンパスで、自宅から電車で行くにはアクセスがかなり悪い場所にあったので父親に車で送ってもらいました。オープンキャンパスに行ったことがなかった私は、初めての大学のキャンパスにワクワクしながら模試を受けにいったのですが、模試が始まると英語の長文を全く、さっぱり読めずに30分くらいで何もできることがなくなったほど惨澹たる出来で、模試会場のクーラーが轟々と効く教室で冷や汗を掻きながら残りの時間を過ごしたことを今でもはっきりと覚えています。

   ただ、そのときの私は、勉強をはじめたばかりなので仕方ない、とかなり強気な気持ちで、模試が終わってから父が運転する車で家に戻る途中で携帯電話に連絡が入った友人からの遊びの誘いに応じて、その足でサッカーをするために友達が待つグラウンドに向かった記憶があります。

  それくらいその頃の私は「強気」、いや能天気で、いま振り返るとどうしようもない受験生でした。

  またその当時の失敗として、これまでの私は勉強をまともにした経験がなかったくせに、「受験なんて自分次第だ」という、勉強に関わるたくさんの成功と失敗を踏まえた者のみが許される超正論を振りかざして、予備校にも通わず、学校の教師にも質問することなくのほほんと自分のペースで勉強し、例えばなぜ英語の長文が読めるようにならないのか、という理由もわからぬまま勉強を続けていました。

  英語に関してはその理由は明白で、私の高校は一般受験で大学に入学する生徒もおらず、授業のレベルもその授業のために指定される教科書・参考書類も簡単な文法事項を確認する程度のもので、そもそもそれなりの英語の長文を読むためには、長文の問題集を解くことと並行して、構文集や英文解釈本などの参考書が必要であることすら知らずに、かなりの貴重な時間をForestやNextstageや単語集だけに時間を費やしていたことが挙げられると思います(いやいや、Forestとかネクステをちゃんと理解してればある程度、読めるはずだよ、という突っ込みもあると思いますが)。

 結局、私は私立大学の一般受験が始まる2月まで、独学で勉強を続け、見事に現役での大学受験を全落ちという結果で締めくくります。しかも、私は1日目の受験が終わり、次の日に同じ大学の受験を控えていたのですが、私はその受験から逃げた。戦う前から諦めてしまった。もうどうでもいい、そんな心境で開き直っていました。あと1年ある、と。

 最初の現役の受験で明らかに失敗だったと思うのは、今までに自分がすることのなかった「勉強をする行為」自体だけに満足し、「結果」を出すということを全く意識していなかったことです。自分よりも先に受験を経験し、その道を歩き、合格のために必要なプロセス・方法を知り尽くしている受験の道のプロに教えを請わなかったことも、今では後悔しています。

 結局、私は全落ちしたので自動的に浪人することが決定し、卒業式を迎えました。クラスで進路が決まっていないのは私だけでした。卒業式で特に印象的だったのは、ポケモンカビゴンほど太ったクラスメイトの女性ひとり以外には、誰も泣いていなかったことです。彼女が教室で唐突に大粒の涙を頬に滴らせる様子を、私と友人は遠巻きに黙って眺めながら、内心、クラスメイトが誰一人も涙など流していないこの教室でたった一人だけでそれを実行してしまう図太さ、空気の読めなさに対する「嘲り」の気持ちが浮かび上がっていましたが、しかし、3年間過ごした自分の高校に何の愛着も持てないまま卒業していく自分自身に対して「虚しさ」を感じていたのが素直な気持ちでした。ただ、そうした「虚しさ」や受験に失敗した悔しさよりも、違う高校に通う私の中学時代以来の親友も同じように浪人が決まっていたこともあって、もうこの高校に通わなくていいという嬉しさと喜びの方が上回っていたと思います。 

 卒業式が終わってから、私は誰とも記念写真を撮らずに、クラス会にも出席せずに、その親友と二人で食事をしました。卒業してから私は、同じ編入予備校に通うことになったひとりを除けば、高校の同級生と誰とも会っていません。