研究者を目指すという熱病

 本ブログの記事の内容にご質問などがあれば気軽にコメントしてください。

編入予備校での最初の1年(受験体験記)

  1年の浪人生活の後、私が入学した編入予備校は、いわゆる専修学校で二年間を編入試験対策に費やして、二年目の秋に編入試験を受験することを目的とし、それに合致したカリキュラムが組まれていました。

 例えば、入学した最初の春から夏までのカリキュラムは、編入試験にとって必要となる①英文法や、②長文読解、③リスニングのための授業がそれぞれ週に二回ずつあり、また編入の志望学部を絞り込むための④法学、⑤社会学、⑥経済学・経営学、⑦心理学の授業がそれぞれ1回ずつあり、今、大学を経験した後で振り返ってみても、それなりにボリュームのある充実したものでした。それは、1年間のほとんどを自宅で過ごした私にとって大変、負担の大きいもので、毎日、自宅から20分ほどかけて通学ですら「学校遠すぎ・・・」と思っていました。

 またこの学校は、正確には編入を目指すコースだけでなく、就職を目的とするコースも存在したので、入学前に行われた試験によって、編入志望者だけでにレベル別でクラスを大まかに振り分けられてから、さらに学校全体で英語の英文法や長文読解、リスニング能力などに応じて授業ごとにクラスが振り分けられるというシステムだったので、自分の弱点を克服するための仕組みがきめ細かく設計されていたと思います。

 ただ私の場合、1年のブランクがあり、しかも自宅で引きこもって勉強していたこともあって「友人作り」「人間関係」に非常に苦労しました。これは私に原因があって「編入予備校に来てる奴らはみな受験に失敗した者たちばかりだ、だから彼らと馴れ合ってはいけない」という態度で私自身が自分から壁を作っていたことが原因です。率直に鼻につく人間だったと思います。それが原因で友人も出来ず、学校に行っても先生に回答を求められて当てられたとき以外に一度も口を開くことなく過ごし、昼休みには食事も摂らずに一人で学校の周りを散歩する時期が、入学してから1年と数ヶ月近く続きました。

 空き時間に私と同じ組に振り分けられた同級生が、彼らの後ろに私が座っていたことに気づかずに、学校の行事に参加しなかった私の悪口を言っていたこともありました。自分に原因があったとはいえ、孤独でした。

 そんな私の隙間を埋めてくれたのは、大学受験の現役時代に少しだけ嵌っていたサドンアタックというネットゲームでした。当時、私は学校が終わると高校の頃と同じように一目散に帰宅し、それからネットゲームをするようになりました。学校より、ボイスチャットをしながらネットの中の友人とゲームをする方が楽しかったからです。当時、あまりにも私はリアル(現実、すなわち日常生活にあたる学校)で会話で地元の関西弁を使う機会よりも、ネットゲームの東北在住の友人と話すことの方が多かったために、久しぶりにあった中学の友人に、「なんかお前の話し方、訛ってね?」と指摘されたこともあります。それくらいどっぷりとネット生活に漬かり、徐々に、生活リズムがネットゲームのチームの活動が盛んになる深夜に移るにつれて、私は学校を休みがちになってしまいました。

 当時の私は、口先だけの決意をするものの、その決意を一瞬で忘れ、本当にネットゲーム漬けになっていたと言っても過言ではありません。パソコンの画面に向かって、左クリックを押して銃で敵やゾンビを打つ毎日の中で、大学の一般受験が失敗し、進路未定で進退窮まった時期の「辛さ」をすっかり忘れていました。

 大学院生として当然、無遅刻・無欠席を維持している今では信じられませんが、この当時はまだ大丈夫、まだ休める、まだ大丈夫、そういう甘い気持ちで学校を平気で休み、学校に課されている英語の資格試験も平気で当日になってドタキャンして逃げました。

 私はギリギリで、授業の出席要件を充たすことができたので、かろうじて期末試験を受けることができたのですが、私にとって不幸だったのは、まじめに授業に出ていなかったにもかかわらず期末試験の評価が思いのほかよかったということです。

 その試験の結果を斟酌しながら、私は志望学部を法学に定めることにしました。学期末の面談の際に、法学クラスを担当していた先生が、私に「法学部」志望することを薦めてくださったことも理由の一つでした。

 志望学部も定まり、本来であれば勉強のペースを上げるところですが、しかし、私は期末試験の結果に満足し、夏休みをネットゲームで満喫し、ネットゲーム上の「階級」を上げることに勤しみました。あのとき、仮想空間の階級を上げるために勤しむのではなく、英語をもう少しでも読んでいればもう一つワンランクの大学に進学することができたし、編入試験前にあれほど追い込まれることはなかったと思います。

 後期の学期が始まると、さすがにこのままではやばいと悟り、私はネットゲームを完全に辞めたわけではないですが、その時間を減らすことにしました。学校に課された英語の資格試験にはかろうじて合格することができたのですが、相変わらず法学にかかわる週に二度あった専門英書購読の授業での私の和訳はボロボロでした。

 ただ、この時期にはなると休むことなく学校にがんばって通うようになっていたと思います。それでも、勉強自体は学校に課される宿題をこなすだけで、受験生なのにそれほど自習をする時間は少なかったです。

 またこの時期に私は、首痛のために通っていた整骨院の先生が主催していたフルコンタクト空手の道場に強引に誘われ、空手を始めることにしました。年が明ける直前の12月に習い始めました。今までスポーツに打ち込んだことがなかった私が、しかもそれを馬鹿にさえしていた私が、真剣にそれに打ち込むことによって自分の人生が何か変わるかもしれないという動機によるものでした。

 「受験生なのに習い事ってそんな時間あるの?」と思う方も少なくないと思います。実際に、私は編入試験が数ヶ月後に迫る時期に道場を休会したのですが、それでも空手は私が勉強することについて明らかにポジティブな影響をもたらしてくれました。厳冬真っ只中で、暖房がつけられているものの、空手道場の隅から隅までを暖めてはくれない中で、拳に力を込めて1ラウンドをしっかりとがんばりきる、この1回の稽古をしっかりとがんばりきる、全ての力を振り絞る、といった小さな挑戦に対する一つ一つの成功体験と経験が、受験勉強へとつながっていったからです。思えば、私はそれまでの人生で、積み重ねた努力を以って成果を出した経験が一度もありませんでした。勉強も、スポーツも、あるいは課外活動を何もがんばったことがなかったからです。

 空手は、私に、学校とは異なる、新たな仲間と居場所を与えてくれました。社会人の方が多かったこともあり、同世代とうまく馴染めなかった私を、上手に包んでくれました。彼らの多くが、受験とは無縁な、「学歴」とは関わりのない職業についていたにもかかわらず、「受験」と「学歴」に何年もこだわる私の背中をそっと押してくれました。

 また受験や学校のストレスを、空手の先生方が構えるミットにぶつけることで解消することもできました。あれほど、透明で、不純物が紛れることの無いサラサラの汗を流すことができた場所を、私は空手を辞めてしまってから(この経緯はまた今後別の記事で書きたいと思います)、未だに見つけることができません。それくらい特別な場所でした。

 そうして、徐々に生活と勉強のリズムを取り戻しながら、後期の授業にまじめに出席することになったのですが、前期の期末試験とは一転、後期の「法学」科目の期末試験は惨澹たる結果に終わりました。特定の法制度を論じる形式で出題された「憲法」の試験はうまくいったのですが、特に法学部の編入試験で特に重要である具体的な事例文を解かなければならなかった「民法」の成績は、法学部志望の学生の中で下から数えた方が早いものでした。

 編入試験においても、大学の学部期末試験においても「民法」の試験は、特定の法制度や法概念を説明するいわゆる説明問題が出題されることも少なくないのですが、具体的な事例問題が出題された場合には、問題となる条文の(文言について)あるべき法解釈を検討し、提示した上で、当該事例文における事実をあてはめて、結論を導くという「法的三段論法」によって問題を解くことが要求されます(これについては今後の記事で説明するかもしれません)。私は、この法的三段論法をが全くできていなかっために、本当に、本当に、私の民法の期末試験の評価は最低評価でした。

 ただ一方で、「英語」については劇的に成績が上がることも、読めるようになったこともなかったのですが、週に8コマ以上もあった授業によって英語を浴びるように生活に取り込めたことで、後述する編入試験直前期に一気に専門英文を読めることとなる下地を作ることができたと思います。

 こうした受験勉強の進捗状況の中で私は1年目の編入受験生活を終えることになります。

 

追記)法学の問題には、大別して事例問題型と説明問題型の2つがあります。これについては今後、改めて記事にするかもしれません。